(1)

例えば、

  • (個人から個人へ)「投票に行った方が良い(善い)、行くべき」というメッセージを出す
  • 投票後に、投票に行った(という事実のみ)を、周囲に告知する、或は日記に記述する

等の行為に対して僕は嫌悪に近い感情を抱くのであり、許せねぇ……と思う。や、言い過ぎました。まぁ、なんかちょっと不思議だな、と思うのでその理由を思いつく限り列挙して説明しようと思うのです。つまり、僕は政治に興味が無いので投票に行きませんが、もし政治に興味があり投票した、する、のであれば上のようには行動しないと思うので、その違いが不思議だという話です。
まず、投票に行くべき、という発言に関してですが、これを政府の広報機関や、マスメディアに載る発言として流通するのはわかる。投票率は高い方がよい、とは思うのでそれを選挙に関する話題の一部として扱う、というのは理解出来ます。しかし、個人間で話題にするのならば、「とにかく投票しろ」、では無く、「どこに投票した方が良い」、と言う形で発言するのが筋、というか、真っ当な態度ではないかと思うのです。発言している当人は勿論投票するつもりもあり、またそれに対する理由も抱えている(と思われる)にもかかわらず、それを明らかにせずにただ「投票した方が良い」と主張するのでは、投票するという行為自体に意味があるかのようです。また、「投票する事」自体に意味があると思っているから、それを行った事をわざわざ他人に言うのではないか、とも思います。
僕は「投票する事自体に意味がある」などとは全く思わないので、そこが違和感の原因でしょうか。

  1. ある候補を当選させる、あるいはある政党の候補者を当選させるために投票する
  2. 一票で当選が左右される事は無いと思うが、ある候補や政党に投票する事に意味があると思うので投票する
  3. 投票する事自体に意味があるので投票する

僕の中での投票動機はこのような形で分類されており、3で投票している(ように見える)人が解せない……。正確に言うと、投票する方が良いから、程度の理由で投票した人に、投票した、程度のことでなんかしてやったぜ的な気分を味わられるのが許せない……。のですが伝わるでしょうか。