日記について

僕は趣味らしい趣味が日記を書くことくらいしかない。また、恐らく幼少期に体験したなんらかの出来事が影響を与えていると思うんだが、なにか向上につながる行為を行っていないと気分が落ち着かないところがある。でも勉強は全然していないので恒常的に勉強プレッシャーを感じており、何も手を打たないと徐々に精神の均衡を失っていくのではないかと思われる。
日記についても色々な効用を考えてきた。日記で宣言をする事により、自分の未来の行動に幾らかの方向付けを行える、というのは当初有力な考えであった。これは長期的視野にたった日記の記述の方が、その場限りのやりたくない気分よりも比較的に良い方向へ向っていると考えられるためである。禁煙するときに周りの人に宣言するのと同じ原理だが、日記には大きな弱点があり、日記に書かなければ誰もそれを実行したのか確認する事が出来ない。また、自分の日記を読み直すことも皆無であるため、自らへの戒めとする事も出来なかった。し、あまりにも自らに課した課題を無視しつづけたため、最近はもうそういう心積もりすらない。
他には、文章が上手くなるかもしれない、タイピングが得意になる可能性がある、コメント欄を通じた交流によって知的刺激を受け読書意欲、勉強意欲が高まるかもしれない、など様々な効用を検討したがどれも決め手にかける。
しかしながら世の中には活発に活動をしているにもかかわらず尚且つ毎日日記を書いているというような方も沢山いらっしゃるわけであり、ここに存在する大きな落差にはどんな原因があるのか熟慮に熟慮を重ねた結果、どうも僕はちゃんと考えて日記を書いていないのが良くないのではないかと思った。つまりよく考えないとかけないようなこと、経験した事も無いような事、考えた事も無いような事について書くのはどうだろうか。ここにはもう自分の体験した事は書かないことにする。本当に感じているようにも書かない。そういう意味で今日の日記はある種私のこの場における遺言であるとも言える。
また、もう一つの可能性にも考えが及んだ。私はこの場で固有名詞に触れなさ過ぎであり、他のサイトなどについても触れなさ過ぎであり、社会問題については恐らく一度も真剣に考えて触れた事が無い。とても内向的であり、とても良くないので、より刺激を受けるべくいろいろなところを見て周り、また言及すべきである、という可能性である。端的に言って、ニュースサイトをやるべきだ。しかし、こちらはいろいろなところを見て周るのが面倒なので不採用とした。会社でネットを見れなくなってからは一次ニュースサイトも二次ニュースサイトも全く見ていない。明日からは体験していない事を想像して日記を書くことにする。