不幸日記(B)

青くハイライトしてあるので気付いた方もいらっしゃるでしょうか、私は昨日の日記で三度も「死にません」を使用しました。ご存じかも知れませんが、私は不死ではないのでそのうち死にます。「死にません」というのは私が不死属性であることを表現しているのではなくて、自動詞的な"死ぬ"を否定しており、いま死にたい……、ってかいたけど本当は死にたいと思ってないし、死なないよ! という意味です。死にたいけど、(不思議な理由で不死なので)死にません、ということを自慢しているわけではありません。
私は普段、今まさに死にたい、死にたいナウ、とは思っておらず、むしろ長生きしたいと願っているほうです。不謹慎だとは思いますが(本当はあまり思っていませんが)、面白ワードとして「死にたい……(死にません)」を使用しています。なぜ、こんなに「死にたい……(死にません)」が面白いかについて考えているのですが、死にたい……、は一種のタブー語なのではないか。ファック! などと同じく強い興味を抱かせる言葉なのではないかな、ということですが、頭にきて悪態をつくときにおもわず「死にたい……」と呟く人がいたらあまりにも元気がなさすぎるというものだし、そもそも「ファック!」と言われたら反射的に「欧米か!」とは思いますが、それほど面白いとは感じません。でも 「ファック!! (ファックしません……)」だったら面白いような気がします。それに、悪態として「死にたい……」を使う人がいていいような気もしてきました。きもい! うざい! 死ね! むしろ私が死にます……、鬱だ死のう……、であり、死にます……(死にません)と並べるとあまり違和感がない。もし私がアメリカの映画監督だったら、「ファック!! ファックしません……(なぜなら草食系だから)」というセリフが300回近く出てくる映画を撮りたい。