不幸日記(A)

「比較可能な条件面で恵まれているが、それらの条件とは全く無関係に不幸せそうな人、または日記」が愛すべき人、または日記なのではないかと思いました。私は、いままでそのように日記を書けていたでしょうか。いいえ、書いていません。死にたい……(死にません)。
昨日の表も全然の無意味ではなく、「比較可能な条件面で恵まれているが不幸せそうな人」に関して二つに分けられることが分かったのです。つまり、方向性としては間違っていないがまだ恵みの度合いが足りないので不幸せそうな人、と、諸条件とは関係なく、不幸せそうな人です。もちろん、恵まれていることが私に伝わっている時点で、その方には恵みに対する何らかの思いがあるという予断が私に働くのですが、その方は実際にそれと自覚して恵みを披露しているわけではないのかもしれません。「リナカフェなう」を見ただけで、「人前に出られていい御身分ですね!」と感じるのは行きすぎだろうし、そもそも、私は、私が私でなければ私の文章を読もうとは到底思いませんので、私がその方の文章を読んでいる時点で私は文章に関する何らかの点でその方に惨敗しており、インターネット上で読むすべての文章に対し劣等感を持って接せねばならず悔しくて死ぬ……(死にません)、ということになったら困ります(不幸な日記としてはなかなか良いと思いますが)。また、私は全く飢えることなく生活しておりその時点で大体の時代と比較してとてつもなく恵まれているわけですが、残念ながら時間軸方向に対する共感能力がほぼ絶無であるため、あまりその恩恵にあずかることができません(未来人はうらやましいですが)。だから、やはり範囲を操作しようという企み自体が不毛である気はします。死にたい……(死にません)。
具体性に著しくかけているため一言補っておくと、今、無性に将棋が指したい!! いや、自分で指せなくてもいい、寧ろ観戦したい、という気分です。伝わったでしょうか。というような日記は、誰にどういう印象を持ってもらおうと思って書いているのか、が曖昧になるのでよくないのではないか、という気がします。つまり、友人に対してのコミュニケーションでは元気であることを伝えたかったら「元気やで!!」と文末に一言付け加えればいいわけですが、私は特にインターネットに対して元気を伝えたいとか思いませんので、むしろ逆に元気のない時に元気良く、幸せな時に幸が薄く書く方が良い。何が良いのかは分かりません。いや、やはりインターネットに対しても自然体で振舞うのがいいのかな? 元気やで!