左膝について

布団の上で胡坐をかいていて、立ち上がろうとしたところで左膝をひねり左足が伸びなくなりました。先週土曜のことなので、もう四日目です。幸いなことに、タイピングさえ出来れば仕事になるので、職場には明日から行くつもりです。怪我したのが左手や左脳でなくて、本当に良かった……。
普段は苦痛から目をそむけて生きているので、苦痛と向き合って生活するのは大変でした。苦痛は主に、柔道整復師と整形外科医師によってもたらされました。足を伸ばすと膝が痛いのは確かなのですが、それが正確にいうとどの部分なのか、前十字靭帯なのか、半月板の辺りなのか、他の靭帯なのか、が知りたかったかったようです。正直にいうと、僕は漠然と膝がいたいだけで、足をどれだけ伸ばされても、膝内部の特にどの部分が、というのは判別できませんでした。これは膝以外でもそうですが、体内の痛みに関して、それがどこで起きているのか判断することが出来ません。直感もあまり強く感じないし、感じたとしてもそれが正確だとは思えないのです。たとえば、朝会社に行こうとすると胃が痛い、とします。朝会社に行こうとすると痛くなるのは胃、という知識を持っているので、痛んでいるのが胃だと判断できるし、実感としてその痛みは胴体の中にはあるように感じられるので、胃が痛いのだ、と思っていますが、正確かどうかは分かりません。まだ胃の場合は、辛いものを食べた後に痛くなる部分として認識可能なので、辛いものを食べた後に痛くなる部分と、今、感じている痛みが同じ場所から発生しているように思われれば、それは胃の痛みであると推測することが可能です。しかし、頭痛はどうでしょうか、あれは本当に頭が痛いのか、というのは強く疑問に感じます。なぜなら、頭痛と頭をぶつけたときの痛みは全然違うものだし、なんとなく自分の意識が存在すると感じている場所に痛みが発生しているだけであるような気がするからです。僕が訓練の末、自分肉体の数メートル上に意識を持つようになれば、空中が痛むのではないかと思います。なので、膝の痛みに関しても正確に答えることが出来ず、どうしても曖昧な答えになってしまいました。その結果、MRIを撮ることになってのですが、このMRIが最大の苦痛発生装置でした。
MRI自体は非常に興味深いものでした。まさに近未来。不思議なトンネル、規則的な轟音。MRIの手前に準備するための部屋があり、女性から着替えを渡されました。MRIについて説明を受け、閉所恐怖症の有無、騒音に対する耐性について何度か確認されました。MRI室に入り、寝台の上に横たわると問題が発覚しました。膝が伸びないので、MRIが動かせないのです。MRIは筒状になっており、そこへ足元から挿入されるので、体がMRIの内径に収まっている必要があります。閉所や轟音は全く気になりませんでしたが、苦痛は苦手なので足が伸ばせず、女性は困り果てました。すると、MRI室の奥から男性が現れました。彼はボールペンを持っていたので、女性に注意を受けました。そして、僕を見ると「この足はどうして曲がらないの?」と訊きました。それを調べるためにMRIを使うんだよ、と思いましたが、そんな答えは期待していない様子だったので、どうして足が痛むようになったのかを説明しました。「立ちあがろうとして足を捻りました」。それを訊いて、どのような判断かは分かりませんが、多少強引に伸ばしても構わないと思ったらしく、男性は足を伸ばし始めました。すると、それまで不明確だった痛みの正体が徐々に分かって来ました。靭帯が痛んだというよりも、骨と骨が直接ぶつかるような痛みです。もちろん、骨と骨を直接ぶつけた事があるわけではないので、これは正確な印象ではないと思い、誰にも伝えず秘密にしておきました。膝は、撮影可能な角度まで伸ばされ、固定されました。その角度だと、常に痛みが続き、MRIに入る前から冷や汗が止まりませんでした。しかし、MRIが撮れないと膝内部の様子がつかめず、またMRIは予約を取り辛いようなので、我慢していました。女性から何度か痛みについて確認されましたが、もう我慢することに決めたのだからすぐに始めてくれ、としか思えませんでした。最後に、ヘッドフォンと、握るタイプのスイッチが渡されました。MRI本当に大きな音がするので、それで音楽を聴いてください、ということでした。スイッチは、どうしても痛みに耐えられなくなったときに停止するためのものです。時間は20分。僕は途中からほとんど喋れなくなっていましたが、最後に、「経過時間は分かりますか?」と訊きました。すると「わからないので、じゃあ、ヘッドフォンで聞こえるように経過時間を言いますね」と言われました。ひどい臆病者だと思われたに違いない、と落ち込みながらMRIの内部に挿入されました。あの筒の内部を行ったり来たりし、体全体が筒に入り込むイメージを持っていましたが、僕の場合はそうではありませんでした。顔は常に筒外部に出ていたし、轟音はそれほどのものでもありませんでした。音に関して気になったのは、ヘッドフォンから流れる音楽がピアノ曲で、音としての力が弱かったので、もっとリズムを全面に押し出し、かつMRIの規則的な轟音と同期させておけばより豊かなMRI体験が出来るのでは、ということくらいです。苦痛に関しては不思議なことが起きました。あんなに痛かった左膝にはほとんど意識が向かず、右足の先に触れる謎の金属がもたらす痛みばかりが目立ちます。また、手に握っているスイッチの感覚は完全になくなっていたので、いつ間違えて握ってしまうか分からない、と不安になりました。
右膝については今度書きます。特筆すべきことはありませんが。