同じこと考えてた、書いてたフォビア

この恐怖症が蔓延したらファンタージエンが虚無に侵されるみたいに、世の中からどんどん日記が消えていくのだから早急に対策すべきです。検索するのが怖いので調べてないですけど、「脳内メーカー」→「頭の中が"殺"の字で一杯に」という話を昨日以前に二回は書いてるはず。事実じゃないのに三回も書いてしまうなんて! どっちかというと脳内メーカーを見るたびについ笑ってしまいます(付き合いやすいタイプ)。
恐怖の肝は、「一度考えたのに忘れてしまったこと」ではなくて、「考えたことを覚えているのにまた同じことを考えている」ことです。「脳内メーカー」→「頭の中が"殺"の字で一杯に」が自然に出てくるよう固定化するくらいに繰り返し繰り返し。思考というより、決まったパターンでの連想を様々なタイムスケールで繰り返してるイメージ。そのイメージが恐ろしい。
日記の内容が重複するのは、繰り返し繰り返している連想を時々直列化して日記に落とし込んでるからで、しかも一度直列化したからといって日記の内容が頭から出て行くわけではありません。無限に推敲しているともとれる。推敲を繰り返したら文章が上手くなるというのは嘘です。ただ、繰り返しは変化を生むので、完全に停滞しているわけではなく、この日記を書くために始まったループも最初のころは恐怖のイメージを帯びていませんでしたが、次第に恐怖へ軸をおくループへと変化していきました。従って、同じことを書いてしまうのが怖い、というのはなんとなく書いてしまっただけで、端的にいえば嘘です。嘘ですが、いままでに書いた同じような内容の日記を検索語で串刺しにして一度に読まされたら恐怖は感じるかもしれません。ただ、もし僕がこの日記をに書いているとしたら、その行為は複数の日記帳から同じことを書いた部分を破り集めて目の前に突きつける、という行為に相当するはずで、そんなことをする人が存在したらどう考えてもその人の方が僕より変人ですから、テクノロジーによって生み出された、架空ではないが理不尽な恐怖であるとはいえそうです。
恐怖の色も振り払ったところで考えるに、対策は簡単です。思考の内容を固有名詞か固有の出来事に関連付ければよい。つまり、首相が辞めるたびに同じ意見を書いても、首相の名前が違うだけでそれは固有の意味を持つわけだし、日々の出来事は日々に固有だから日々の出来事を書けば良い。良く考えるとそれが日記なのだから日記は消えないのだった。