切り離す方向について考える

機能を追加するのではなく、切り離す方向のおはなしが流行るのではないか、と考えています。いま、「ライラの冒険」を読んでいます(まだ第一部の上巻ですが)。「ライラの冒険」の第一部で描かれる世界の人々は、それぞれ一体のダイモン(守護精霊)と呼ばれる動物と共に行動しています。ダイモンは、常に人間のそばにいるので、同じく冒険譚である『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンドに良く似ていますが、人間と会話をし、自主的に行動します。つまり、スタンドとは全然似ていません。
ダイモンは、ペアとなっている人間以外と話すことが滅多にないため、独立した人格をもつとみなされてはいないように思われます。ですので、ダイモンと、そのダイモンのパートナーである人間との会話は、実質的には、内面の描写に等しい。「ライラの冒険」では、ライラとそのダイモンであるパンタライモンの会話は良く描かれますが、ライラ以外の人物とそのダイモンの会話や、ライラ以外の人物の内面はほとんど描かれません。
映画版「ライラの冒険」では、魂がダイモンに宿っている、というようなナレーションが入っていた気がしますし、物語の核となる事件も、こどものもつダイモンにまつわるものなのですが、僕がダイモンに注目しているのは、一人の人間から、葛藤や躊躇などを引き起こす内面の要素を切り出す装置として、です。今後ますます活動の場を広げるダイモンからは絶対に目が離せない。
すべての物語にダイモンを登場させるわけにはいかないし、ダイモンの切り離され方はすこし曖昧すぎるので、もっと機能志向な切り離し方を導入したい。また、別の世界を構築するのは手間がかかるので、熱心に念じるとそれだけである機能を切り出せる、という程度にしておきたい。ここでポイントとなるのは、機能を切り離したとしても、機能自体が無くなる訳ではないので、外側から観察する限りにおいては、それほど行動に変化が起きないはずである、ということです。つまり、たとえば、"食欲"をダイモンとして切り出したとして、本人は食欲を感じなくなりますが、"食欲"のみを感じるダイモン、あるいは、"食欲"の代弁者からの要求に曝されるため、外側から観察する限りにおいて、以前と同じように食欲に基づいて行動しているように見える、ということです。では、何が変化するかというと、取りえたと想定できる選択肢の数です。つまり、切り離された部分は主観的には外部の環境となるので、自由と責任が減少します。これを自在に応用し、後悔やストレスを極限まで低下させ、なおかつ常に望ましい未来予想図を描く、というのが僕の目指すところで、最近は修練を欠かしていません。これが完成すれば真にライフハックしたと胸を張って言える。