スポーツクラブについて(5)

目についた階段は端から全部昇ってやる、そんな無謀ともいえる意気込みに駆られて階段を昇っていたわけではない。小介はそういった衝動とは無縁の気質であった。もし、信頼できる助言者に、「どうだい、目に付いた階段すべてを昇ってみるなんていう試みは? 時に、そういった揺さぶりを意識的に導入してみるのも成長には欠かせないことだよ」と熱心に勧められたとしても、そんな、ただ上だけを目指すやり方は早晩行き詰まるに決まってる、理論立てて説明することだって出来るし、面倒なら最上階についたときのことを想像してみればいい、と、即座に心中で反論し、まともに検討すらしなかっただろう。もっとも、その反論を口にしないのは、事務仕事で疲れたときに、あの階段を昇って、そのまま降りてこなかったらどうなるんだろうか、どうしても自分からは降りないと言い張ったら、最後は強制的に排除されるんだろうか、意外に隠れるスペースは多くありそうだが、などと想像して愉快を感じているのが見透かされているようで後ろめたかったからなのかもしれない。自分にはそんな大胆な行動は似つかわしくない、いまのように、生活に必要な、やむにやまれるといった感じで繰り返される昇降運動こそがふさわしい、と決めてかかっているわけでもないのだが、実際に階段が利用されている機会を測定すると、そのほとんどすべてが実際的なものであった。小介が階段を昇っていたのは、彼の部屋が二階にあり、階段以外の手段でそこにたどり着くのがほぼ不可能だったからである。