スポーツクラブについて(4)

多少強引な理屈かもしれませんが、「今年の抱負は三人称で日記を書くことである」と宣言したのだから、今日から三人称で日記を書いても何も恥ずかしいことはないはずです(「これは抱負だからしているのであって、特別に何か意図があるわけではない……」)。むしろ、抱負の実現に向かって勤勉に努力する人間として広く褒め称えられるべきなのではないでしょうか。もちろん、三人称で日記を書くという抱負を選んだことに対する責任は多少感じざるを得ませんが、どんなに大変な<顔から火が出る思い>もいずれは薄れていくもので、そこには希望を見出すだけの十分な余地があります。「首謀者は、銀行強盗の計画を立てた、<一年前の私>であり、今の私はその緻密な計画に従っただけ」という言い分も法廷では通用しそうにありませんが、とりあえずこの場においては有用であると考えられます。三人称への移行がうまく進めば僕が僕としてご挨拶できるのはこれで最後ということになります(挨拶)。このような形で日記的な突然死を迎えるとは思いも寄りませんでした。今日、東京では雪が降りました。もっと北の寒いところではもっと大量に降っていると思うので、静かに降り積もる雪に埋もれるようにして、消えて行きたいと思います……。近所には全く積もらなかったので一旦場所を替えざるを得ませんでした……。

ここから

小介(←僕です)は全く足音を立てずに階段を昇っている。彼が足音を潜めて階段を昇降するようになったのは二年前にコーポへ越してきてからで、それは半ば習性となり今ではどんな種類の階段を昇るときもほとんど音がしなくなっていた。厳しい環境が、彼の才能を目覚めさせたのだ。もっとも、様々な音に溢れるそのコーポは、小介だけではなく、住人全員に対して自身と他の住人のたてる音への高い意識を常に要求していた。問題は、深夜にだけ存在するわけではなかった。日曜の昼には、階下で貿易業を営む外国人がホームパーティーを催す。かすかに聞こえる陽気な音楽が、不意に大きくなる。「下で窓を開けたのかな? お、これはいい。思わずココロが踊りだしてしまいそうだ……」と感じたのも最初の半年だけで、いつのまにかホームパーティーは開かれなくなった。それとは逆に、三階を占有する大家一家の足音は日を追うに従って大きくなるようだった。足音が段々大きくなるということがあり得るのだろうか? むしろ、漸進的に私たちの耳がよくなっているのでは? コーポに住まう全貸借人がそのような疑いを深めていた。小介は階段を昇り終えた。