JJについて

"JJ"が"女性自身"の略だということはわかったのですが、では、"女性自身"がどのような意味を持つのかがわかりません。これが"男性自身"(DJ)だったら、間違いなく、「男性自身いうたら、あれやで、ガハハハハ(一人ウケ)」という感じだと思います。『女性自身』(雑誌)に詳しい方(主に女性)に対してストレートにこの疑問をぶつけたら敗訴しそうな気がするので、まだ誰にも訊いていません。ただ、光文社の方がそのような意味、願いを読み取られるよう名前をつけたとは思えないので、『女性自身』と言うことばに対してそのような印象を抱くのは少数派なのだろう、と思います。しかし、これが『男性自身』であればまず間違いなく九割がたの人が僕と同じものを想起するだろうというのは譲れませんから、これはジェンダーにかかわる問題であり慎重にならざるを得ません。端的に言って、"男性自身"は、不肖の息子であるかのような扱い、愚息であったり、倅(せがれ)呼ばわりされるのに対して、なぜ"女性自身"はそのようになかば自立した存在として扱われないのか、という問題です。まだ結論は出ていませんが、一つにはその形状から、また、しょぼくれたり、怒張したりといった所有者の意図から乖離した動作が独立した意志を想像させるのかもしれません。ただ、人間は怒張したりしないし、僕自身はそれらに対して人間らしさを感じたことは一度もありません。