心身の健康について

あ、また止まってる! 今回下手打ったのはどこのどいつだ!! ゲラゲラ、という感じで興味津々事態の推移を見守っていたら、その日の午後には、僕が先日リリースしたプログラムが原因であることが判明した……。僕が書いたんではないけど、テストしてリリースした部分。そいつがあれしたデータを別のプログラムが取り出して、もう一回投げるときに吐き出されるログがちゃんと復号化されておらず、読み込んだツールが無限ループしてディスクを食い尽くしてしまうという、三つのバグがまさに奇跡的に組み合わさって発生した事態です。ちゃんとテストしてなかったのは本当に悪いと思ったし反省した(ほんとうに!)けど、それで止まるとか、10年近く動いてたプログラムにこんなびっくり機能が!! という感じでほんとうに笑い事ではなく、胃が痛くなったりした。平穏な仕事人生を送っているので、胃が痛くなったのはまだ二回目です。報せを聞いてこれから急速に心の健康が失われるであろうと予感した。
現状では、まだ心の健康が失われてしまったとまではいえないようです。ただ、心の健康に対する不安感は高まったままです。体の健康に対する高い意識は健康へと繋がっていそうですが、心の健康に対する高い意識はむしろ不健康へと繋がっていそうに感じられる。これは、体の不健康がある時点での空間的に連続した組織における機能不全であるのに対して、心の不健康は時間的に連続した認識に発生した歪みだからではないでしょうか? (つまり、ある意識が連続していると感じられるのは、過去との連続性に対する思い込みでしかないからです?)。体の健康空間×心の健康時間、と考えるとしっくり来る。心の健康ヲタに恋愛志向の中二病童貞が多く、体の健康ヲタに博愛を唄う箱推しが多いのは、心の健康にとっての代替不可能物は「思春期性という時間」で、体の健康にとってのそれは「幸せな場という空間」だからだ、なーんて説明するのは強引すぎるかしら。