読書日記(2)

第二章は進化ではなくミームについてだった。すっかり進化について書いてあるものだと思って読み始めたので読み進めるうち大変驚くことになった。「ミームについての章だったんだって?!」と。章題からして「ミームの目的とその食い違い」なので、なぜ進化の話だと思ったのか、についてが今となっては不思議です。とにかく第二章はミームの話で、ミームが目的を持っている、という捉え方は未だによく馴染めないけど、遺伝子が自己を複製して拡散するという目的を持っている、という捉え方は自然だと思えるのでそこはなんとかクリア出来そうな気がするが、全体としてこの章はよく分からなかった……。
なんやかやと書いてあって、人間はよくわからんが、他人を模倣しミームを複製するような機能を持っている、しかし、もしミームを複製する理由が、既に持っている目的を達成する手段としてミームが有用だから、というだけであればミームは新しい目的を生みださない、よって遺伝子の目的と僕の目的の間に生まれるような食い違いは、ミームの目的と僕の目的の間には生まれない、ということになる、のだけど、単純なミームではなく、協調性に関わるミームにおいてはそういう食い違いが生まれる可能性がある、と。
でP28

わたしは、一様性への傾向が人間の精神のうちに組み込まれているのかもしれないと思う。そうだとすれば、その目的は社会的協調に関わるだろう。この点を説明しよう。

このあと、人間の精神が発達した理由として良くされる種類の説明がされる。P29

社会生活に必要なことについてのこうした考え方は、人々は可能ならば協調責任を逃れようとするものであり、したがって社会的協調が成立するためには、人々がふつう利他主義をとることが必要だという見方を前提にしているように思われる。たとえば、「詐欺師」や「ただ乗りする人」を予想し、見つけ出し、罰する能力が、われわれのような知性を発展させ、協調的な社会を維持する上で、中心的な役割を果たすとされる。

その直後。

わたしは、こんなふうに事態がなっているとはまったく思わない。第一に、競争ゲームをモデルにした社会的交渉を考えるのは、ほとんどの場合、完全に間違っている。(一ページ程中略) 第二に、われわれはふつうお互いの個人的な動機と信念を推測することによって、お互いの行動を予測するという考えは、わたしにはまったく間違っているように思われる。

僕は他人の動機や何かを推測するために知性が発展した、という話を素朴に信じていたので、ここは驚いた。驚き、かつ、ほんとに? とおもったがもちろん信念をもてる程このことについて良く知っているわけではないので、単に前者の説明を先に聞いたからそっちの方が本当らしく思えるだけかもしれない。
では、動機から行動を予測するのでなければ、どうやっているかというと、もっと単純に他人はいままでと同じように行動するのだろう、と予測しているだけではないか、と。P31

われわれが信念 - 欲求心理学を用いるときというのは、ほとんどいつも事後的な説明のためであって、予測のためではない。

なるほど、と思うけどもやはり他人の欲求を洞察するような能力があれば有用な場面も多いし、有用であれば発達するのではないだろうか、と思うけど、どうでしょうか。
この後で他者の模倣が単純に有益であることが多いこと、また、ケースによって他者の模倣をした方が良いのか、模倣しない方が良いのかについて合理的な判断するのにはコストがかかりすぎるし、そのような認知的な引き金を単純には設定出来ない、から、人間には他人の行動を複写するような性向が備わっているのではないか、と。
もし、単純に他者の行動を複写するような性質が備わっているとしたら、ミームは以前から持っている目的を達成するための手段として複製されるわけではなく、人間というミーム複製装置によって単に複製されるわけだから(人間を機械扱いしてすいません)、複製されたミームの持つ目的は、その人が以前から持つ目的と食い違いうる、というのが第二章に書いてある話だとおおむね理解しました。他者の心理を洞察するために色々な能力が発達した、というのと、他人の行動を模倣することが単純に有利なのでそのような性向を持つ、というのは普通に併存出来そうな気がするけども。