なぜオタは生命保険に入りますか?

軽く見積もっても「なぜ人を殺してはいけないか」、通称なぜころ問答と比較して十倍は時間をつぶせるので500ブクマくらい行くのではないかと予想していたけど、全然そんなことはなかった。「なぜころ問答」と並べたとき見栄えがするように略せるようエントリ名にいらぬ気まで遣ったのに……。今日はなぜオタシリーズとリンク出来るようなエントリ名にした。オタが生命保険に加入したという話は聞いたことないですが……。
というかやっぱり、「……問答」じゃなく「……問題」にしたのが良くなかったかもなので無理矢理ブクマコメントなどに答えることで問答にしようと思います。全文転載しておりすいません。

生死は本質じゃない気が。他人の心の中で自分が価値あるものとして記憶されていることを自分の利益と感じること(名誉感情)自体が非合理に思えるということ? ある種の共感性の欠如?

まず、僕は生命保険に入る人の心情が想像出来ないわけではないし、入ることもあり得るだろうと思っているので、共感性が欠如しているわけではありません! 複数の人に最も相談事をするのに向いていない人間として認定されてきたので、ある種の共感性の欠如はやはりみられるのかもしれませんが……。
生死については、単純な金銭面での利得としては絶対に死後にしか発生しない、ので0としてしか計算出来ない、という点で僕にとっては重要です。名誉感情などの心理面での利得を計算に入れるのなら合理的だ、というのは分かりますが、たとえば一度も着ない服を大量に買うことでストレスが発散出来た、というのを合理的と形容するかというと、しないと思います。
しかしよく読んだら、「名誉感情が利益だと感じること自体が非合理だと思うか?」との事でした。非合理かどうか、というのをある目的(利益)があってそこへ向かう手段として有効かどうか、ということだとして、目的が生物として遺伝子を残すことであれば、名誉感情が利益であると感じられるのは非合理でない、合理的だと思います。しかし僕の目的は遺伝子を残すことではない(というかそのレベルでは目的はない)と。もし名誉感情を利益と感じるか、感じないかを選択出来る(名誉感情を利得と感じる、感じないの選択を目的のための手段と出来る)のであれば、目的がなんであれ、感じない方を選ぶとおもいます。それを選んでる僕はどう今の僕と同じなんだ、という話ではありますが……。

合理的でなくて良い、とか合理自体考えないこともあります。あと、人生設計はそもそも不安を取り除くところに目的があると思います。

僕が合理的、という言葉を適当に使いすぎたかなぁ、という感じがします。さっきの、「ある目的(利益)があってそこへ向かう手段として有効かどうか」という意味で言うと金銭は大体において目的へ向かう手段として有効なので、金銭が増えるように行動するのはほとんどの場合合理的、という言い方で合理的の意味を一つに出来そうな気はします。ちなみに辞書は引いてないので実際はどういう意味か知らないですけど。
「合理的でなくて良い、とか合理自体考えない」ってことは僕はなくて、常に意識される範囲では合理的に行動していると思います。というか、合理的で無いようには意図して行動出来ないのではないか。他人をみて合理的でないと感じることがあるのは、僕と他人の持つ情報に食い違いがあるか、もしくは、他人の目的が一貫していると仮定すると、全体としてみて合理的でない、というケースではないかなぁ。自分の行動が合理的でない、というのはあとから振り返るなり、メタな視点を想定するなりしてはじめて出来ることで、その場その場では常に合理的ではないのかな、と思います。これは単に、合理的という言葉の使われ方の問題かも分かりませんが……。あと僕は書くことがすぐ矛盾しているかもしれません。大丈夫でしょうか。後段の人生設計云々はよく分からないですが、不安を取り除く、という意味では死後により高次の世界へ行くために功徳を積む、とかと似た感じかな、と思います。どちらも有効な手段なので。

難しい問題ですね。半分もわかりません。不可知論という単語の意味がヒントになるかと考えましたが関係なさそうでした。(デビッド・ヒューム:「すべて人間にとって存在とされるのは、直接の感覚的経験である<印象>の流れであって、(略)経験からえられる事物の基本的関係は原因と結果との関係(因果関係)であるが、これはただ習慣からつくられるもので、その確信性は理論的知識の立証によるのではなくて、信じることによるのである」)  価値評価器説の補助線として、「自分の死後の世界は知り得ない」→アナロジーとして自分が寝ている(意識を失っている)世界のようなものとして想像(代替・推察)する=自分が不在の世界における贈与と利得の関係が現在と同等に通じるという感覚を有する、のかも知れません。 進化の過程であんまり必要でなかったあるいは発達しなかった感覚(空気の美味い不味い←→食べ物の美味い不味い・酸素や二酸化炭素の濃さ受容器官←→塩分糖分の濃さ受容器官・ 10000分の1と10000000分の1の違いの感覚、紫外線やX線の強さなど)に関するおかしな挙動については現代を生きていく上には些か問題があるようには思われます。  推敲が不充分な文で申し訳ありません。

これはどう考えても引用されてる部分の方が難しくないですか! 僕の文章がわからなかったとしたらそれは文、文章の組み立てが下手なせいと、特殊な語彙が含まれているケースがあるからだと思います。
死後の世界については僕は寝てるというよりも、因果関係がもてない、断絶した、実際には存在しない世界ってイメージですね。それで小説とか、並行世界とか書きました。断絶しているのにもかかわらず、感覚的経験である<印象>の流れからえた因果関係を確信を持って敷衍した結果、誤る、みたいな。
食べ物のうまい、まずいも結局高カロリーがうまい、みたいな感じで今は現状に適合出来てない、もうちょっと複雑に見える欲求も適合出来てないのではないか、ここはさっきと同じような話になりますけど、高カロリーが好きなのは長生きしたいという目的に対して合致しないので、以前は合理的だったのに今は非合理、と判断されますが、名誉感情はそれ以上上位の価値を必要としないので見逃されがちなのではないか、こんな押しつけられた価値からの卒業を目指さなければいけないのではないか。