℃-uteの芸能界の"オキテ"を学びましょう(磯野貴理子)

ハロモニ。で先週から「℃-uteの芸能界の"オキテ"を学びましょう」というコーナーが始まっているのを知った。8人組アイドルグループである℃-uteが様々な先輩を訪ね、知られざる芸能界の"オキテ(碇(イカリ)ではない)"を学んでいくコーナーで、非常に見応えがある。℃-uteが動いているのを見るだけで幸せ、という向きにはもちろん、なんらかの僕には想像もつかない理由で芸能界の掟について真剣に調べている人にも興味の湧くコーナーかも知れない。
先週と、今週の前半は天王洲スタジオで長山洋子さんに、今週後半は砧スタジオで磯野貴理子さんに師事して掟を学んでいた。長山洋子さんのパートは「ふむふむ、へえ、そんなこともあるんだねえ、まったく興味深いことだねえ」と見ていたのだけれども、磯野貴理子さんのパートでは貴理子さんの投げやりな面白さの傑作ぶりに驚かされた。いや、むしろ大傑作と評されても驚かない。
そもそも、ハロモニ。は非常に投げやりに制作されているように、素人目には、思える、部分がある。今回、磯野貴理子さんへの訪問は事前のアポイントメント無しで行われたように演出されていた。もちろん、僕は第四の権力であるマスメディアに対して燃えるような敵愾心を抱いており、すべてのテレビ番組はヤラセであると見抜いているが、貴理子さんの投げやりな対応はその気概を挫かせるに十分だった。もしかしたら、本当になんの打ち合わせもなく、知り合いであるなっちに頼まれて仕方なく応対しているのかも知れない、と思わされた。
投げやりなのは貴理子さんだけではない。貴理子さんに対するなっちの、慇懃無礼としか表しようのないヨイショ芸で(後で書く)
二問目が、「打ち合わせにやってきたえらーいプロデューサーさん。なんとカツラがズレズレ!! こんな時どうする?」という、設問。この設問では誰でも投げやりになってしまいそうな気がした。それに対する、貴理子さんの、模範解答。「見ないようにするのもばれちゃうと失礼でしょ、見えない状況にするのが良いのよ、だから、プロデューサーがきて、あ、ずれてる、と思ったら、気絶する。なんか、なんとかして(自分をぼかぼかっと殴って気絶する身振り)」。なにか面白いことを言わないといけないし、たまたま思いついたので適当に面白いことを言った、という感じが凄い良いなぁ、と思った。一問目では普通に答えていたので、面白くしようとそんなに頑張っているわけでもない感じとか。非常に大それた夢だとは思うが、そんな日記を書きたい。ただ、問題なのは日記は自分が好きで書いているのであり誰にも強制されていないから、投げやりな身振りで日記を書くのは非常に難しい。しかたなく、原稿用紙のマス目を埋めるために適当なこと(「一!」「二!」と号令を掛ける、など)を書く、という類のこと、また面白いことを書かないといけないので自分では面白いと思ってないけどお前らは面白いと思うだろ、的な書き方も出来ない。もしそういった、なんとか原稿用紙を埋めなければならない、(書きたくないけど)面白いことを書かなければならない、という制約を実現したいならそれは強迫観念として実装されることになる。つまり、だれからも要請されていないがとにかく日記を書き続けなければならない、面白いことを書かなければならない、というカジュアルな狂気として現れる。しかし、この場合、重点はそのような強迫観念を生み出した(メンタルヘルスの観点から臨界に達した)現代日本の問題に置かれるのであって、狂気はWeb2.0時代に個人が持ちうる最強のコンテンツ、のうちの一つ、ともよく言われるけれど、とにかく貴理子さんの面白さとは別種のものになってしまうのは間違いない。特にブログ時代になってから日記は段々そういった種類の病から距離をとりつつあるので、実態としてどう変わったのかは置くとしてもそういった身振りをとりにくい、という変化は間違いなく起こっているだろうと思う。もし、本当にそうしたいのなら一朝一夕にではなく、じわじわと、長い時間をかけてそう変化していかなければならず、それには相当量の不幸が必要とされる。