アイドル道徳について(4)

K2Da2006-08-14

遠回りしているうちに何を書きたかったのかわからなくなるところでした。僕は「本当の一体感」という言葉があまり好きでない。「真のファン」も同様。今から「本当の一体感」思想をdisる。大まかな方針はこうだ。まず、

  1. 一体感に「本当の一体感」や「本当でない一体感」という区別など無い(もしくは誰にもそれが判別できない)ことを明らかにする
  2. 何故そんなありもしない区別が捏造されてしまったかについて歴史的構造から明らかにする
  3. そうした構造に「本物志向」側として安易に組み込まれた人間の精神性について激しく弾劾する

もちろん実際に記述するのは2.までです。3.は人格攻撃になってしまい逆に悪い人間認定されてしまうからです。
なにが妥当なマナーであるかというのは、基本的に数の戦いだし、ファンコミュニティーがインターネットを強い媒介として成立している現状では、インターネット上の文書戦を出来る限り全力で闘い抜くことが求められるのでしょうが、だからといって僕が抱いた感覚を偽物だと決めつけられる謂われはない。困難な事業だがやり抜くつもりです。まず12のルールに従ってマインドマップを描く所からはじめたい。

一体感の本当性について

一体感の本当性がどこに由来するのかがまずわからないのですが、「本当の一体感」派の方がいう一体感の本当性はそんなに奇想天外なものには由来しないだろうと推測される(そうであればそこから同意が成立しない)ので、とりあえず思いつく全ての本当性を検証したい。まず、問題となるのは一体感が、感覚であるのか、感情であるのか、という点です。辞書的な定義は知りませんが、個人的にはどちらでもあり得るように思える。感覚が本当でない、というのはわかりやすく、つまり、感覚というのは大体において万人が共有しているものだと考えられているので、本当でない感覚とは、あまりにも冷たいものにさわると熱く感じる、などの、単純な環境と感覚の不一致を指すものだと考えられる。
それに対して、同じ事態に対して異なる感情を抱いてもそれは感情の誤りとは通常認識されず、それまでの経緯、あるいは当人の性格に違いがあるため感情が異なる、と解釈されるはずで、そういう意味では感情は常に正しい。しかし、深層などを持ち出して別に本当の隠された感情が存在する、あるいは、感情の源となる認識に誤りがあるため、本当の感情と認めることは出来ない、とは主張できるだろう。また、"お前の感じているその感情は精神疾患の一種だ"式の指摘も可能であるかも知れない。
最後に、一体感特有の性質として、周囲の人間が(同時に/同一/同種の)一体感を抱いていない限り、本当の一体感とは認められない、という主張が予想できる。まとめるとこうなる。

  1. 本当でない一体感は感覚として誤っている(何らかの原因で生理的な誤りが発生している説)
  2. 本当でない一体感は感情として誤っている
    1. 心の奥底では一体感など感じていないのに、一体感を得ていると思い込もうとしている
    2. 現状の認識が誤っているため、間違った感情を抱いている(主に3.のケースが想定される)
    3. 精神疾患の一環として一体感を得ている
  3. 一体になったと思っている相手が一体感を感じていないので、本当の一体感でない

どのケースにおいても、自分の一体感は正しく、他人のそれは正しくない、と主張できるだけの根拠を示すのは難しいのではないか、と思うので、詳細についてはいずれ書くことにします。