オタ芸について(3) / 類似する行為との比較(1) / 外向きな側面について

オタ芸の尋常でなさ、を確かめるために、類似する行為との比較を行いたい。オタ芸には他人を鼓舞する外向きな側面と、自らの楽しみがために行う運動としての内向きな側面がある。オタ芸は一見してトライバルな趣があるし、祝祭におけるダンスが両側面において妥当な比較対象であるという気はするのだが、おまつりにはほぼ全く行った経験がないので、歴史的な経緯を踏まえるどころか個人的な体験としても比較不能であり、すぐ日記を書き終える必要が出てくるので避ける。経験したことのある範囲で考えたい。
他人の応援を鼓舞する活動という意味では、プロ野球私設応援団が最も近い。応援団の応援は純粋に観戦を楽しみたい人にとっては迷惑である、という意見が存在するところまでそっくり。「半強制で行われる応援はボールパークでおこなわれるボールゲーム本来の楽しさを損なっている」という意見は「他人の迷惑を顧みずに打たれるオタ芸はコンサート鑑賞の邪魔である」という意見の相似形だし、「そもそも応援団員はグラウンドに背を向けているが、本当に観戦を楽しんでいるのか」という疑問は「オタ芸をうつ連中はステージを全く見ていないが、それでコンサートを楽しんでいると言えるのか」と同じ疑問であるといえる。しかし、残念なことに私は私設応援団員として活動した経験を持たないのでどちらの心境もよくわからない。それでも、応援団員はチームのため、他のファンのためになっている、と考えることが出来そうだが、オタ芸の場合はこの側面はきわめて小さい、オタ芸者同士での連帯感はあるだろうが、その他のファンまで盛り上げようという意図は薄いように見える。オタ芸が他人に向かって捧げられているのだとしたら、その対象は同じオタ芸を打っている仲間内か、舞台上のハロー!プロジェクトメンバーに対して、だろう。
(余談ですが、ファンの集団といえば、○○親衛隊、を名乗るものだと思っていたのですが、今に至るまで○○親衛隊、は見かけたことが無い。もちろん、親しく衛る、なんて事は出来ないのだから看板に偽りが無くて大変良いことだと思います。代わりにどんな文句が背中に刺繍で刻まれているかというと、推しメンを神、女神、奇跡、として讃えるものが主流であり、距離感としては実態に近い)
オタ芸が気持ち悪さを志向しているのは、仲間でない他のファンに対して、最初から良い印象を与えようと言う気がないからかも知れない。応援団員は応援に慣れていない人に積極的に自分の応援方法を教えるだろうけど、オタ芸を見知らぬ他人に教えている、という光景には出くわしたことがない(正確に言うと、全くないわけではない。「ここでー、これがロマンスだー」のような定型句まで存在し、コンサート開始前にロマンスを広めようとする人は時々見かけるが、それも一種の儀式というか、実際にそれを見てロマンスを試みる人は見たことがない)。