エウレカセブンについて(3)

マトリックスはそれほど好きでもないし良く覚えているわけでもないが、おそらくみんなストーリーは知っているのだろう、という思いこみの元に書いています。あの、同じ顔の男が沢山出てくることで有名な続編を持つ映画です。
クダンの限界という謎の制限があったから、とはいえ、エウレカセブンではシミュレータの中に移住することがまぁわりとポジティヴに描かれたのに対して、マトリックスでは何故か問答無用で破壊しに行った(ような気がする、良く覚えていないが)ので、それは何故か、見ている人がその動機に対して納得できたのは何故か、ということを考えたい。極端な話、エウレカセブンの、違う世界へ旅立った方の人たちが将来マトリックスで描かれてた事態を引き起こすかも知れない、その場合はチューブで機械と繋がってるんではなくて、緑色の棒でスカブコーラルと半分融合している状態の絶望病患者の一部が正気を取り戻して、偽りの世界を見せるクラスター群と闘う、ってなストーリーになる。抗体コーラリアンと、マトリックスに出てきた変な機械は描かれ方も似てるし。
ネオは何故すごい力を手に入れて、仮想の世界を壊そうと思ったのか。たとえば、あの力を使って毎日一定数の凶悪犯を一人ずつ心臓麻痺で殺していき、新しい世界の神となりより良い仮想世界に向けて邁進するという手もあったのに。

1.マトリックスで描かれる仮想世界が暗すぎたから

それに対してエウレカセブンで描かれた図書館は落ち着いていて、読書大好き、サブカル書物大好き、な心に引っかかったので移住がすんなり受け入れられる説。マトリックスの仮想世界は基本的に現実を描いていたようなので、マトリックスのストーリーにすんなり納得できた人はそれだけ現実を悲惨なものだ、あのなんだかわからない地下の穴蔵よりも悲惨なのだ、と捉えているといるのではないか。

2.歴史を人間の手に取り戻したかったから

これはシド博士がいっていた。マトリックスでは、人間がなんか繋がれていて利用されているようだった、それが我慢できなかったので、ネオは怒った説。コーラリアンは別種の生物であって人間が一方的に利用されているわけではないから、受け入れられるのではないか。マトリックスで何故人間があのような状態におかれていたはまったくわからなかったが、イメージ的には脳を並列に繋いですごい演算に使っている、というような感じだった。これは私がおそらく他のSFと混同している。世界を構築している人間の脳の処理、はもっと大きな視点から見ると全然別の演算の過程だった、という小説を以前に読んだ、気がする。

3.本当のことを知らなかったから怒った説

エウレカセブンの絶望病患者は多分自分の肉体が絶望病状態におかれていることを知っているんだろうけど、ネオは知らなかった。でも、知ってしまったのでもう元には戻れない。これは本命。ネオは仮想世界で得た知識の延長で自分が仮想の世界にいたことを理解している、ので本質的に無理があるんでは無かろうか、という気はする。細かいことを言えば、仮想の世界でのネオと実際のネオは絶対に容姿も能力も違うはずだし、そんな細かいレベルではなく何もかもが決定的に違う方が自然だし、あっさり地下の戦争状態を現実として受け入れるなんてネオは夢見すぎ、夢見がちすぎとは思うけど、も。
どんだけネオのいた仮想世界が悲惨だったとしてもあんな訳のわからん機械と戦争せねばならん地底よりはましなはずで、最終的にネオが勝ったのか負けたのか知らないけど、あの機械から解放された人たちはネオを恨んだのではないかなぁ、と思うわけだ。俺は好きで帰依してたんだ、勝手に脱会させやがって、みたいに。幸福の平均で言ったら仮想世界の方が地底よりもずっとましなのに、それが仮想のものだから、そしてそのことを他の人たちは知らないから(知らないから成立している)という理由で選択不可能な選択肢として考えなければならない、というのは面倒だなぁ。私だけが事実を知っている、という状態で私は満足ですがどうでしょうか。映画化には向かない、映画化してもパラノイアを描いたオモシロ映画になりそうですが。