スーツが見つかりました

まず一番怪しいと思ったのが昨日晩飯を食べたうどん屋です。私はいつもその店でチーズ餅カレーうどん(1200kcal)を食べていて、その際はルーの跳ねがかからないよう上着を脱ぐので、忘れているとしたらここです。十一時に早い昼休みを取ってうどん屋へ行くとまだ開店前でした。私はこの店に上着があるであろう事をほぼ確信していたので、躊躇無くドアを開けようとしましたが、開きませんでした。開店前だからでしょうか。私が困っていると、ガラス扉の向こうから見ていた女性店員がドアを開けてくれました。「すいません、昨日こちらの店にスーツの忘れ物はなかったですか? 夕方なんですが」と聞くと、女性店員はレジの周りをサッと見て「すいません、夕方は入ってないもので、ちょっと待ってくださいね、どんなコートですか?」といいました。私は「いえ、コートではなくスーツの上着です」と答えました。それから、スーツの上着についていくつかの詳細な説明を付け加えました。色、形など。それを聞いた女性店員は一度店の奥に引っ込むと、一人の男性を連れて戻ってきました。私はその男性に見覚えがありました。彼はいつも外の通路に面した麺打ち場で、棒と腕を振るって麺を打っている男です。麺棒をもっていない姿は初めて見ました。彼は現れるといきなり「昨日この席に座っていた方ですよね」といい、店の隅の、カウンター席を指しました。確かにそこは昨日私が座った席ですが、そんなことを覚えている男について私は少し気味悪く思い、二度とこの店には来ないでおこう、と思いました。ただ、彼もむやみに客と座った席を暗記しているのではなく、単に私が案内された四人席に一度座ったのに、端っこの方が落ち着くからという理由で勝手に席を移動したので、特に私について覚えていたのかも知れないし、もしかするとその席にスーツの上着が忘れられていたので、特にその席について覚えていたのかも知れません。最後の可能性に思い当たった時、私はやはりこの店にスーツを忘れたんだな、と思うのと同時に、店に対する悪印象も消えかけたのですが、しかし、その店にはスーツの忘れ物など無かったというのです。だから、やはり彼は特になんの理由もなく私の姿と席を組み合わせて覚えていたと言うことでした。スーツがないのと、特になんの理由もなく店員に覚えられていたのとでかなり動揺しましたが、そこは隙を見せないよう、「そうですか、すいません」と言って私は店を出ました。
それから、つまり、私は昨日結局ビルから出ていないわけで、どこか道端でスーツを落としたのなら、ビルの管理センターに届けられているのではないだろうか、と思いました。そのような施設は知らないので、とりあえずビルの案内所へ行くと、そこには一日中ビルの案内をしている女性が座っていました。彼女にもさっきのうどん屋と同じ質問をしました。すると彼女はどこかに電話をかけ、二言三言やりとりをしてから私に「スーツのメーカーはどこですか?」と尋ねました。私は自分が着ているスーツのメーカーなど当然知らないのですが、それに繋がりそうな知識は持っていました。スーツを買う時に店員が「これはご存じだと思いますが靴のあのブランドと同じものですよ云々」といっていたのです。私は出来るだけそれを正確に伝えようと思い、「靴も作っているメーカーのスーツです」と答えました。しかし、これは上手く伝わらないようで、芳しい反応が得られませんでした。案内係の女性は受話器の口を押さえてこちらに注視しています。もし仮に、管理センターにスーツが届いているとしても、スーツのメーカーを正しく言えなければ返してもらえないのかも知れません。私は今日着ているスーツも同じ時に買ったから同じメーカーのものだと気付き、タグを見るために上着を脱ぎました。すると女性は、「どんな色ですか?」と言いました。これには、自信を持って「黒っぽいです」と答えました。すると女性はもう一度電話の相手と二言三言交わしてから、「昨日そういうスーツが届いているようです。地下の防災センターにありますので」と言いました。なので、私はなんの意味もなく会話の途中で突然スーツの上着を脱いだ人、になってしまいました。そんなことをしているから、スーツをなくすのだ、と女性に思われているのではないかな、と思いましたがあまり気にせずエレベーターで地下へ向かい、スーツを回収しました。