HATENA NIKKI FESTIVALについて(5)

先週末に購入したBerryz工房カレンダーがトンダ不良品で、カレンダーとして全然使えない。なぜなら写真に目を奪われて、日付がまったく読めないから!! のような文章を毎日日記に無理矢理挿入しているのは、ここを見ている人の半分以上がハロプロ系のアンテナからいらっしゃっているからです。Berryz工房に関して何か書きたい、というのは内発的で自然的な欲求ですけど。次に多いのはハニフェスアンテナから来ている人なのでハニフェスについて書きます。
前回、ハニフェスが当日どんな雰囲気になるか想像もつかない、と書いたのは、もちろん、詳細説明に不備があるからではなく、ハニフェスが生まれ持って二つの相反する傾向を抱えているからです。1.テキスト祭りを引き継ぐ雑文発表祝祭の場。2.無記名で文章を発表するHaropy的空間。この二つのうちどちらが重視されるかで、雰囲気が大きく変わってしまう。大きく変わるかも知れませんが、結局ハニフェスは一回しかないし(毎年あるのかも知れないけど)、考えても仕方ないから、要するにあなたがどうハニフェスに接するかです。二つの傾向はそれぞれに利点があるのでそこを考える。雑文祭としての利点は何か。なんなんでしょうか。私は雑文祭をみたことがないので本当には分からないですが、12月の頭にハニフェス用日記に熱中して原稿用紙二十枚分書いてそのままゴミ箱に捨てた(比喩ではなくWindowsのゴミ箱です)経験を下敷きに言わせてもらえば、普段の日記とは違う特別な日記と言うことでなんの衒いもなく本気の日記を書けるのではないか、という気がします。普段はなにこの人、なんでこんなに本気で日記を書いてるんだろう、と思われるのを畏れて日記が書けない人も、リミッターをはずして本気の日記が書けるのではないか、と思います。あと、普段より多くの人の目に触れる可能性があるのでやる気が出るとか。
もう一つ、Haropy的空間としてはどうか? Haropy的空間として利用するなら、Haropy使えばいいんじゃないの? と言う気もしますが、今のHaropyをみてもわかるとおり、あれは多くの人の目に触れる可能性があってはじめて創発的な空間となりえるのだから、時間を制限してHaropy的空間を設定することには十分な意味がある。この機会に、普段は言えないけど無記名で強く主張したいことを書けばいいのではないでしょうか。非モテについてとか。はてなはてなユーザについてとか。