HATENA NIKKI FESTIVALについて(6)

最初からはてな V.S. ユーザなどという対立は存在していないのであって、はてなアイデア市場崩壊によって表面化するのはユーザ間にあるはてな開発リソースを巡る思想上の対立です。戦争は政治の延長で、DISはブロガーの武器です。水と石油の替わりに開発者が貴重な世界で闘うマッドマックス達を想像してください。ユーザの意見を代表することは誰にも出来ませんが、これは争いなのだから、どんどんそうやって意見の正当性を確保していくべきです。
罵倒について考えていた時にもおなじ問題に行き当たったのですが、自らの正当性を強い供給源に頼れば頼るほど意見の指向性が弱まるように感じます。罵倒に関して言えばそれはこういう問題です。私がある日記を閉鎖に追い込もうと思った時。あなたの日記は世の中の人、書いている当人も含めて、に対して、負の影響しか及ぼしていない、あなたは即刻日記を止めるべきだ、という根拠で戦いに挑むと。これが当てはまる人は世の中に沢山いるので、私はその人が問題だと思う限りにおいて、多くの同様な人も問題だと感じざるを得ず、総合的な改善は困難を極めます。私は諦めるはずです。対して、私(だけ)が非常に不快な思いをしているのであなたは日記を止めるべきだ、と主張している場合は、主張の一貫性を保ったままかなりのレベルまで、社会的socialなハッキング手法まで視野に入れてがんばれるように思えます。
サービスがどうあるべきか、についても同じ"べき論"なのだから、似たようなことが言える。つまり、その問題が本当に大きく社会の幸福に関わるもので、是非改善されなければならないのだと私が感じているとしたら、それはどのサービスについても当てはまるのだから私は自らがユーザとしてそのサービスに関わっている、関わっていないにかかわらず改善を要求していかなければならない、と言うような問題です。