一人の人メソッドについて

ある行動を一人の人間が取った場合には善いかニュートラルな行動であるが、集団で取った場合は悪であることが有り得るかどうかについて、というのは、その人が道徳的な善悪をどう定義してるかによる、単なる言葉の問題かも知れませんけど。そもそも、道徳的な善悪は結果ではなく意図によって判断される(と、ここではしておきます。一般的にはそうだと思います)。交通事故で子供を殺してしまった人は注意不足で重大な過失を持った人かもしれないけど、悪人であるとは通常言われない。したがって、

  1. ある人が私にとって(以下、私にとって、は省略します)善い意図で、ある行動を取ったところ、他に大勢の人が同様な行動を取ったせいで予想外に結果が悲惨なことになった場合、彼は善き意志で行動したけど、推測が間違っていたので意図していない結果を招いてしまった*1、推測は誤ったが悪人ではない。といえる
  2. 彼自身は正確に悲惨な結果を予想していたが、集団ではなく一人の人としてその行為を行った場合は単に悪い人である
  3. 集団の一人として、良かれと思って行為を行ったが、結果が悲惨だった場合、頭が悪い集団の、悪くない人である
  4. 集団の一人として悲惨な結果を予想してその行為に参加している場合、行為の主体は集団だとみなせるだろうから、悪い集団を構成する悪い人だと言える

僕自身は、集団を構成する一人としてなにかをやっているつもりは(すくなくともインターネットで何か書いている時は)まったくないので、3や4のような捉え方をされると非常に腹が立つし悔しい、思わず匿名で煽り返したくなります。2で捉えていただきたい。基本的には、人間を集団として捉えるのは侮蔑的な態度といえるだろうと思う、その程度の共通項でくくって把握してしまえる人間だ、という意思表示だろうから。
で、これは完全に個人的な印象ですが、集団で、悪いことを悪いことだと思いながらやる人はあまりいないのではないか、とも思う。善悪が集団に規定されるという立場なら、集団として行動している時点で、その集団にとって善い行動な訳だから。人が集まるのは、それが正しいことだと思っているからではないか。なので、集団として悪い結果を招いているなら、悪い人が一人ずつ悪い行為を行っているか、もしくは(頭の悪い、or 私と善悪についての意見が食い違う)集団が正しいと思って悪いことをやっている、のどちらかとして把握するのが良い、実態に近い、のではないか、と思います。
で、大事なのは、個々の行為として悪い行為ではなくても結果として不当な被害を出す場合があって、それを防ぐためには自由や利便を削ってでも規則を定めなければならない場合がある、ということで、恣意的に切り取った集団が悪いことをしているとみなして、その構成員の善悪を論じることではないと思う。非難するなら一人の人が悪いことをしている、と言った方が良い、ってか好ましい(私にとって)。

*1:大勢の人がおなじ行動を取らなければ彼の行動は悪い結果に繋がらなかったので、ここに因果関係を認めるかどうか、についても二つの立場がとれるように思う