10/28(金)

左下の方で太鼓のような音、それ以外にも何種類かの太鼓のような音が鳴っていますが、つまり、その左下の音、を太鼓の音と呼ぶことにして、逆の、右側からはグワワァァというようなベースの音がしている、とします。とします、というか今、現にそういう音がしている。私は出社するために道を歩いていて、出社途上で、まわりにはおなじように出社するために海の方向へ歩く人が沢山います。しかし、その太鼓とベースを聞いているのは私だけです。これは私が幻聴を思うがままに作り出す能力を手に入れたからではなく、単にヘッドフォンで音楽を聴いているからです。私は街を歩く場合ほぼ常にヘッドフォンをしているため、たまにヘッドフォンをしていないとあまりの雑音で逆に驚きます。今はヘッドフォンをしているので驚いていません。平静な気持ちで出社しています。ちなみに、今の部屋に移ってきた初日に窓を開けて音楽を聴いていたらうるさいといわれたので、今は部屋の中でもほぼ常にヘッドフォンをしています。さて、太鼓の音が左から聞こえてくる、ような気がする、のは左のヘッドフォンからその太鼓の音がより大きくでているからに違いありません。下の方から聞こえてくるような気がする理由は分かりません。しかし、低音が、低い音と、と呼ばれるのはきっと体験的な理由があるのであって、低い音はどんな人にとっても低い位置から聞こえてくる傾向があるのではないかと思います。これは今考えた仮説ですが、低い音は耳以外でも感じられる、特に大きくて低い音は風みたいに感じられることがある。耳以外の場所というのは大抵耳よりも下にあるので、低い音は低いところから聞こえるような気がする、というのはどうでしょうか。いま、真ん中の上の方からは女性のボーカルが聞こえています。真ん中、というのは実際の世界にマッピングするとちょうど私の頭がある辺りです。これはかなりの異常事態であり、頭の中から音がしたら気が違ったと思うに違いありません。私がそう思わないのは長年に及ぶ訓練の結果、ヘッドフォンが作り出す音響世界に慣れ親しんでいるからです。はじめてヘッドフォンを装着した時のことは残念ながら良く覚えていませんが、最初から簡単に受け入れられるような体験ではなかった、ような気がします。機会があれば、全くの自然状態(ヘッドフォンのような装置が存在しない世界)で育った人間に突然ヘッドフォンの音響のみをあたえたら、それをどう解釈するか、という実験をしてみたいです。おそらく、これは彼の育った文化に左右されるだろうし、もしそのような文化がない世界を想定したら彼はきっと私と意思の疎通が出来ないので、彼に何が起こったのかは絶対に分からない、と思います。あと、そんな実験をする機会は永遠にありません。
さて、私はずっとヘッドフォンをしている、と書いていましたが、それは嘘でした。私は、イヤフォンで音楽を聴いていました。私のイヤフォンには左右の区別がありません。正確に言うと、右左はあるのですが見た目からでは区別がつきません。より、正確に言うとRもしくはLと書いてあるので見れば簡単に区別がつくのですが、RやLは自然的に左右と結びついていないし、私は形以外でイヤフォンを区別するようなことはしていないし、形状自体は右左全く同じなので、注意してみない限り右左に大きな違いはありません。なので、私は基本的に最初に掴んだ側を右の耳にセットしています。つまり、最初に掴んだ側が私にとっての右側になります。私が、本来の右左(以下RLと表記します)と同じように右左を装着するケースと、本来の、つんく♂さんが意図したのとは逆のパターン、右耳にL、左耳にRで聞くケースというのはほぼ五分と五分、完全にランダムになっているのではないか、という気がします。正確には分かりませんが、どちらのケースも発生しているのは間違いありません。そして、左下から聞こえてくる太鼓の音、というのは私にとっての左下から聞こえているわけではなく、イヤフォンのLから聞こえているわけです。今はたまたまLを左耳に装着しているので左下から聞こえていますが、右耳にLを刺していれば、右から聞こえてくる。これは今確かめてみたので間違いありません。イヤフォンを逆向きに装着すると、音は左右逆に聞こえる。前後は変わりません。ここで、なぜ左右だけが逆になるのか、という話から鏡はなぜ左右だけ逆になるのか、という話に持って行くことも不可能ではないと思いますがそれは別によくて、つまり、私は音楽の右左がはっきり区別できるにもかかわらず、それにかなり無頓着である、ということが書きたかった。しかし、これは太鼓の音やベースの音、という比較的どこから聞こえても問題ない感じがする音だからかも知れません。勿論、左から聞こえてくるのと右から聞こえてくるのでは、左に太鼓があるかも知れない、というのと右に太鼓があるかも知れない、という違いがあるので大きく違うと言えば違います。しかし、本質的には太鼓はどこにあってもよいのではないか、という気がするし、それに対して、人の声が、はっきり右、あるいは左から聞こえたらかなり気になるのではないか、という気がします。今のラジオはAMもFMもステレオ放送だと思いますが、あるパーソナリティの言葉は右から聞こえるが、そうでないパーソナリティの言葉はその時々で全然違う方向から聞こえたり聞こえなかったりすると、とかなり気持ち悪いと思います。