インターネットのすごさについて(2)

私は良く駅で踊っている人を見かけます。残念ながら、振りコピではなく片手で逆立ちしたりするタイプのダンスなので混ぜてもらうことは出来ません。彼らは大抵それを夜にやっていて、昼にはやりません。たぶん、昼にやると叱られるからです。駅構内でのダンスは禁じられています。
これはまず確実に人権侵害でないと思える。電車を待っている間にいきなりダンスをしたくなることはあるし、特にコーラを飲んだ後などは体が勝手に踊り出しそうになりますが、無理矢理理性で押さえ込むことが出来ます。その衝動に耐えられないので電車に乗れなくなってしまう人はいないだろう、と思える。
また、電車の車内でとてつもなくリアルな、(でも全然別な路線の)車掌のアナウンス物まねを突然始める人、を時々見かけることがありますが、彼らに対してそれを止めろ、とは言えない、という感じもあります。喫煙はこのダンスと物まねの間、どこかの段階にあるため、どっちにした方が良い、とは言い切りにくい。喫煙場所がないと長距離電車に乗れない人がいる、のであれば、喫煙場所はあった方が良い、と思えるのですが、僕の周りにそういう人はいません。まぁでも、もし周りにそういう人がいたら喫煙場所はあった方が良い、と思えるかも知れない、という感じはあります。つまり、タバコの止めにくさや、吸えない時の苦しみが大きくリアルに感じられるほど、喫煙場所は多い方が良いと思えるのですが、そうすると今度はそういうものを吸い出す機会はなるべく少ない方が良いのではないか、となります。しかし、それは個人の勝手なので、好きに吸い出せば良いんじゃないの、それが自由やん? と思うわけですがそうやって吸い始めると将来的に(今の話はとてつもなく止めるのが難しく辛いという流れなので)とても苦しく、タバコを止める自由を奪われた状態になる、というわけです。そのままずっと幸せに吸い続けられればいいですが、止めよう、とおもうかもしれず、そう思った場合には自由が制限されている、と感じるかも知れない。のですが、その将来の危険を含めた上で選択するのなら勿論そうするべき、なので、吸えるようにはしておくべきかも知れない。というようなことを、考えるわけですが、実際はタバコにあまり興味がないのに、こうして考えてしまうところがインターネットの凄いところです。