自由研究 / 敬称について(2)

正直にそもそもの動機から説明した方が良いのかも知れません。
私が、Berryz工房のメンバーの方々をなんと呼べばいいかで悩んでいるのは、各メンバーの呼び方を変えるだけで、色々な意思や態度を示せるからです。または、そういった意図が無くても、推測される可能性があるからです。例えば、清水さんを"さきちゃん"、徳永さんを"ちなみちゃん"と名で、熊井さんは"くまいちゃん"と姓で呼んでいるなら、その人はレコメンダーK太郎さんになりたいのだろう、と容易に推測できます。もちろん、私も選択式で誰かに生まれ変わることが出来るならレコメンダーK太郎さんに生まれ変わりたいですが、特別それを日常的に主張し続けたいとは思いません。
では、私がメンバーの呼称を区別することで密かになにを主張したいのかというと、それは私の(現代用語の基礎知識2006でいうところの)推しメンが誰であるのか、です。通常、推しメンが誰であるのかは日記を読めば一目瞭然、それと知れてしまうものです。何故ならその日記は推しメンに対する賛美や、感嘆の声でBODYタグの中一杯が埋め尽くされているはずだからです。ところが、私自身に限って言えば、公開された日記で女性を褒め称えることに対する心理的な抵抗や、情緒的な面であまり恵まれていないという成長過程での瑕疵、詩心/文才に欠けるという生まれ、など努力だけでは如何ともしがたい回避困難な理由で、日記に推しメンに対する詳細な描写をすることが出来ません。また、この状況はまだしばらく続くであろうとも予想しています。であるならば、私は特定のメンバーに対する繊細な記述を有意に多くする以外の方法で、推しメンを明らかにするような手段を見つけなければなりません。
ここで第一回の話に戻ります。第一回で検討した課題を上記の目的に沿って設定し直すなら、「石村さんに一人称や二人称を適用した日記を書くことは可能だろうか?」ということになります。答えは、検討する余地無く否です。そんなことが出来るなら、私は容易に三人称を使用した賛美日記を書けるはずです。
それでは、三人称だけを利用してあからさまな賛美抜きで推しメンをアピールすることは出来ないのだろうか。三人称だって一様に平坦なものばかりではありませんから、十分に可能なように思えます。たとえば、推しメンにだけオリジナルな愛称を付けるとか? それもなかなか良いアイデアだと思いますが、あまりにも独創的なニックネームを付けると、それが現存する人物を指すのだとは気付かれなくなってしまうかも知れません。なにか想像上の、とても美しい生き物の名前だ、と勘違いされてしまう可能性がある、ということです(なぜならその愛称はそう誤解されても仕方が無いようにしか使われないからです)。実は、他にもっと良い方法があります。先日、あまりに暇だったので高校入試国語の解き方を解説した本(ISBN:4140019409)を買ってきて読んでいたのですが、その中であるテクニックが取り上げられていました。そのテクニックは使用するのが難しい、特別な修練を必要とするものではないので、ここでは実際にそれを適用した文章を私が創作し、それをもとに説明します。

"Berryz工房意識調査"、最初の質問は「毎日、新聞を読んでいる」だった。「さぁ、読んでいるという人はK太郎さんの方へ、読んでいないという人は矢口の方へ移動してくださーい!」
矢口先輩の出題を聞き終えると、舞波はすぐにステージを横切ってレコメンダ→K太郎さんの元に駆け寄った。新聞ゎ毎日読んでいる訳じゃないけど、この質問はそこまで厳密に聞いてはいないんじゃないかという気がした。もしも他のメンバーに問いつめられたら、実家では毎日新聞(固有名詞)を購読していることにしてしまえばいい。
ステージの反対側を眺めると、矢口先輩の隣にはさき(c)、もも、りーちゃん、みんなが並んでいる。自分の横には、レコメンダ→K太郎さんがいるだけだ。舞波は少し心細くなった。
「あっはっはっは、俺の方、一人しか来ないんだけどー。えー、みんなやぐっちゃんの方いっちゃったよ」
レコメンダ→K太郎さんの声が響く。

これは8/3に行われた、文化放送Berryz工房 起立!礼!着席!」公開録音、「真夏の登校日」での一幕です。この直後、ひとりだけ「毎日、新聞を読んでいる」派で立候補した石村舞波さんは、レコメンダーK太郎さんの「え、えっ、まいはっちは?(新聞読んでる?)」という問いに、「時々なんですけど→、読みます」と答えて会場を埋め尽くしたファンの度肝を抜きます。なぜなら、時々読む、というのは毎日読む、のとは少し違う意味合いを持つように聞こえるからです。この創作文でもその解釈を採用しています。もちろん、一日の中で時々読む(日がな一日新聞を読んで明け暮れしているわけではない)という意味にとることも可能なので、石村さんが質問を拡大解釈したと決めつけることは出来ません。また、この後、後藤真希さんも新聞を全く読んでいないことが明らかになり、石村さんは一人だけ大人ポイント(どれだけ大人であるかを表すポイント)を取り逃してしまいます。
これはとても印象深いエピソードなのでそのうちもう少し詳しく考えてみたいですが、今回は呼称について考える場なので、これくらいにしておきます。
本題である呼称について説明すると、この創作文では全て三人称を使用しています。"自分"は、三人称なのだと思いますがよく分かりません。まぁ、そこはあまり重要な点でなく、今注目すべきなのは石村さんだけ"舞波"と呼び捨て(よびつけ)にしてあり、他のメンバー、レコメンダーK太郎さん、矢口さんに関しては、それぞれ、メンバー間での愛称((c)は"ちゃん"と読みます)や、"矢口先輩"などの、メンバー視点での呼び方が使われていると言うことです。このことによって、石村さんが中心になっているということがさりげなく明らかにされるというわけです。まぁ、この場合は石村さんの(私が想像した)心理描写も入っているので、簡単に分かるわけですが(わからなくても私の文章が下手すぎるというだけの話なので大丈夫です)。以上、三人称のみで推しメンをさりげなく主張する方法についての解説でした。実際にこの手法が有効であるかどうか、書いた本人にはよく分からないので、機会があったら試してみてください。

言い訳

この日記は第一回作成後に毎日少しずつ書いていたので、一部ごく最近のほかの方のBerryz工房応援日記と極度に類似した発想が含まれていますが、直接的なインスパイアを受けたわけではないです。受けている部分もあります。別に受けてても受けて無くても良いですが……。