非難とは

Web上の問題は最終的にその行動が非難し得る/し得ない、というところに集約されることが多いのだけど、"非難し得る/し得ない"というのが具体的にどういうことかわからないので、そこから考える。「disについて」では相手の矛盾点をつくことで隠された本心を暴き出す手法について考えましたが、それだけではあまりにも救いがなく、自分の住みやすい環境に作るよう積極的に努力できないからです。
「"非難し得る"とされてしまうこと」には実効があり最終的な宣告に見えるので、実際には非難が必要ないくらいです。「非難し得るという通告 == 非難そのもの」であり、非難しうる状態を更に非難することが目的ではない。というくらい、非難されうる、ということは重大なことです。なぜ非難される(されうる)のが重大なのか、ということについて考えます。以下、非難され得るということを被非難可能、非難され得る行為を被非難可能行為と呼びます。
もう一つ、ルールとマナーという言葉をよく使うので定義しておくと、ルールには自動的に実行される(メンバーによってではなく、なんらかのシステムによって執行される)罰則規定がある(あるが、罰則(追放含む)が機能していない場合があり、その場合はなんか曖昧、成文化されたマナー程度の扱われ方になる)、マナーには罰則が無く、明文化されていない、と言う違いがある。ルール、マナーとも、非難者と被非難者がそのルールかマナーを持つおなじ集団に属しているのが適用される前提。
ルール、マナーの他に、ネット上では規約に同意しないと利用できないサービス、技術が存在するので、それらの利用に関しては、規約に違反すると利用が禁止されるという罰則があると見なして、ルールに準じた扱いをする。これを規約と呼ぶ。段々適当になってきた……。まぁいつもだが……。
まず、非難に何故無視しがたい効力があるかという話。まずは、<私>と<君>に限って話を進めます。Web上に限って言えば、非難には特別な意味がない、見なければ済むというレベルの話なら、たしかに見なければ済む。ところが、まだ僕らは本当に電子の妖精になったわけではない、リアルワールドにその身を囚われているので、電子感覚だけで理解するわけにはいかない。どういうことかというと、リアルワールドにおける非難というのは、つまり、被非難行為を止めなければ、今後<私>は<君>と友好的で互恵的な行動は取りませんよ、という脅迫、示威行動だからです。報復はしないけど、友好な関係を結びません、という宣言、です。
これが、マナーの問題になると、<私たち>と<君>の関係になる。つまり、<私たち>にはこのような<マナー>があるのだから、それに従って判断するに、<君>の行動には問題がある、よって、我々の集団に入って恩恵を受けたいのなら、被非難行為を止めなさい、という警告。であるから、非難されている状態は回避しなければならない。たとえば職場や家庭では互恵行動を切られたらものすごく辛い。
問題がややこしいのはここから先で、実はWebには互恵的な関係というのはあまりない。正確に言うと、人によって感じる範囲が極端に違う上に、実際にはとても小さく、その上、リアルワールドに比べると個人個人がてんでバラバラに繋がってまとまりがない。だから、互恵行動を断ち切るぞ宣言としての非難はあまり効力を持たない。効力を持たない、のだけど、そこは人間の性で非難されることに強いストレスを感じるという性質は強くあるものだから、非難には実際強い力がある。どうでしょうか。被非難行為を避ける性質というのは過去に有用なものだったのだから、今もそうしてしまうのは仕方がありません。
こうして非難というのは(そこになにがしかの理由を錯覚させられれば)心理的な強制を行えるのですが、それに対する耐性が強い人、なにを言われても気にしない人がいるためにやはりマナーだけではなくルールを作らねばならないのでは、そしてルールで許されることはなにをやっても非難され得ないのでは、という立場、また技術によって制限する、という立場などがWeb上にあるのではないか。

メモ

  • 僕が、マナーを根拠にした非難に対して反射的に反感を覚えるのは、自分の嗜好を勝手に代弁された気がするから。
  • その逆が、個人の好悪をベースにした非難を良いものだと思う性格に繋がる、のか?
  • Web上では非難も、マナーを根拠にした非難も効力を持ちにくい(互恵行動の範囲が少ないので)ので、技術や規約で行動を制限する、という考えが強い説得力を持つ
  • しかし、それを突き詰めて、個人の好悪を考慮の範囲からはずすのはおかしい(非難されうるのではないか? まぁ、この考え方だと個人の好悪をベースにした非難はいつでも可能だけど。だから、いわゆる「非難されうる行為」というのはマナーを根拠にしたものを指しているのだろう)
  • リンクの自由が本当に自由の思想をベースにしているのなら、技術的に閲覧や言及をはじくシステムはもっと強く糾弾されるのではないか(そうならないのは、互恵行動拒否による脅迫が成り立たないことへのあきらめが、規約/技術重視に繋がっているからではないか)
  • マナーは遵守するが、他人が自分の行動に不快感を持ったり迷惑をこうむっても気にしない、と言う態度はどういう場合に成立するのか
  • 筋の通った態度という意味では、リンク禁止をしようがなにを言おうが、あなたの幸福は私には一切関係がないし、その見込みもないから私の行動を選択するさいに全く考慮しません、と言い切るだけで良い