文体因子とは

日記には事実上何でも書ける(日記があれば、なんでも書ける!)ので、日記に関する文体について考えると言っても想像上の日記が取りうる、可能性の幅を考えてもあまり意味がないのではないか、つまり、研究方法としては実際に使用された、使用されている文体をサンプリングすることが主になるのではないか。その際に大きな障壁となるのは、僕がサンプリングしたいと思う日記を書いている方はサンプリングされたいとは思ってないだろう、ということです。だから、実例として文章を引いてくるのは難しい。例文は自分で作るしかない。また、文体間に、どのような実装上の違いがあるのか、を考察する場合にも作例/模倣はまず有力な手段です。
と、書いてきて、漫然と日記を書いても仕方がないので、ここを日記の模倣、実作の場とし、他の場所にそれ以外のことを書いたらどうか、と思ったのですが、日記の模倣はとてつもなく恥ずかしいので、まず続きません。この恥ずかしさはどこから来るのだろう、と思います。日記の書き方は、出来るだけ恥ずかしくないものを目指して落ち着いてきたようです。僕の好きな日記文体の一つに、関西元気娘。というのがあります。

もう、ウチって、ホンマにおっちょこちょいやねんかあ! ウチ、関西元気娘やねん! ホンマ魔女の宅急便めっちゃ感動するねんやんかあ!

これです。関西には一度しか足を踏み入れたことがない、ではない、京都には何回も行っていますが勿論地元の方とは全く交流していないので、正確には模倣出来ません(するねんやんかぁ、は関西弁として正しいのでしょうか?)が、努力は出来る。出来るやンかぁ!!
せやけど、こんなん絶対、続けられへンよ。なんでぇいうたら、いっぺん試したらわかるんおもうけど、キーを叩く指もなめらかにはうごかへんようなるし、変換は上手くいかんでいらいらするし、それに更新ボタンを押す時の抵抗いうたら!! ひょっとして、究極の護身いううが完成したんちゃうん? とおもうてしまうほどやン! やンかぁ!
あと簡単に真似できそうなのは、古い小説によく出てくる、使用人のおじいさんのインタビューみたいな奴。ええ、その通りでございます。次夫様も普段はあの時分になりますともうお休みになっていらっしゃいますので、特別おかしくはおもいませなんだでした。とか。適当すぎる。しかも書いてみたらしっくりこなかった。
ところで、関西元気娘。は文体と言うより、文体因子であるかも知れません。全文を関西元気娘。で構成した日記よりも、アクセントとして使用している日記の方が多いからです。多いやんかぁ! 文体因子という言葉は、以下で見かけました。

また,文章論に先行する「文体論」では,主として,文学作品に対する読者の文体印象を種々の「文体因子」から把握し,文章の表現特性の類型的側面と個性的側面を記述する。以前は,語や文等のミクロ・レベルの言語形式に分割して分析していたが,近年は,段落や文章構成等のマクロ・ノベルの表現特性の総合化を図り,新たに,話し言葉の談話の「話体」に関する解明もなされつつある。

google:"文体因子"
三件しかヒットしない……。まぁ、関西元気娘。は文体因子でもないのだろうと思いますが、面白ワードよりはもう少し大きく、文体よりは小掴みな単位があと二つくらいはありそう(完全にイメージ)。あと、面白日記のパターンを大塚さんの「物語の体操」みたいにパターンで分けて考えたり出来ないかなぁ(笙野さんはこれにも触れていた)、とか、筒井康隆の「文学部唯野教授」に出てきた構造分析? だっけ、なんか、読んだのが凄い前でうろ覚えなんですけど、回想が何行続いて場面が今に戻ってとかそういうの! を調べて欲しい、誰かに。日記はあんまり長くないから、比較的楽そう。っていうか、唯野教授には出てきただけで学問としてちゃんとあるはずなので調べてみたい、と思ったんだけど思っただけで全く調べてない。本を買ったとしてもそれで昔のテキストサイト文章を研究するとかはしない。アメリカンジョークはパターンがあるからそういうのを偏執的に詳しく分類したの無いかなぁと思って探してたんだけど、結局みつかんなくてただ沢山紹介してある奴を読んだだけだった。アメリカンジョークは覚えても使う機会が全くない。
大塚さんといえば、大塚さんと笙野さんの本は全く読み進んでいないのですが、笙野さんは反論を書かせてくれる媒体が見つからないので、小説の中に入れたり、新聞に書いたエッセイに一般読者には分からない形で挑戦状的な意味を隠した文章を書いたりしてたらしくて凄い。実作という言葉はその本からもらいました。日記の実作……。