嗤う日本の「ナショナリズム」

『嗤う日本の「ナショナリズム」』を読んでいます。内容も「嗤い」についてやその他いろいろでとても面白いですが、文章一つ一つがとにかくイカしているというか、格好いいです。P157。第三章 パロディの終焉と純粋テレビ

送り手は、テレビ的な「お約束」を顕在化させることによってテレビそのもののパロディを作り出し、受け手はそうした送り手の意図を正確に読みとったうえで、「お約束」の外部を指し示す素人たちの振る舞いに−−−タレントと同じく−−−ツッこみを入れる。視聴者は「テレビを主題化したテレビ番組を試聴する視聴者を視聴する」わけで、どこにもテレビの真の≪外部≫ は存在していない(純粋テレビ)

強調部原文ママ。同P160。

タレントの(顔)=≪裏≫の顕在化、素人の登用(吉田君のお父さん)、裏方であるはずのスタッフのキャラクター化(ひょうきんディレクターズ)、他局番組のパロディ(ひょうきんベストテン)……行為空間を統制する脚本の存在を前提とする演芸的=「お約束」的お笑いの「禁じ手」を前提化することによって、『ひょうきん族』は「「お約束」の外部に触れることこそが面白い」というメッセージを受け手に送り続けた。それはまさに、テレビが、演芸的なお笑いにおいて前提とされる目前の客のまなざしから自由になり、テレビへと自己回帰していく純粋テレビを目指す運動であったということができる。

今僕が書いているこの−−−あえて内容には触れず(触れられず)、嗤ナショのテレビについて触れた部分から切り取られた文章にのみまなざしを向ける−−−日記は、嗤ナショからまたしても受けた−−−自分の行動様式が年代やその他の大きな(しかし更に大きな意味で偶然性に満ち無根拠な)物語から容易に捉えられるという−−−苦痛から、意識をそらすために採られた位置取り、ココロの防衛本能の現れだと言える。言えるでしょうか?
嗤ナショにスキゾ・キッズが登場したので気付いたのですが、『逃走論 スキゾキッズの冒険』の出版、第一回新語・流行語大賞受賞が1984年、昨年文庫化された『東京トンガリキッズ』は1985年連載開始なので、この時代は大変なキッズブームだったのでしょうか。僕はまさに当時ばりばりのキッズ(六、七歳)だったのですが、もてはやされている感じは全くありませんでした*1。しかし、スキゾ・キッズはすっかり忘れ去られ、今ではトンガリキッズのみが(単にとんがったキッズという転倒した意味で)使用されているのはいかにも何か意味ありげですし、流行の回転からみて、今年はついにまた新しい第二のキッズブームがやってくるのではないか、そう、ハロプロキッズブームが、と思います。

*1:女子高生ブームのころもちょうど高校生(男子高校生でしたが)だったのに、全く無視されていた感があります