ネッ友に関する大問題

誰かから必要とされている感、見捨てられていない感が無いと、心の安定を失ってしまうとして、対応策としては誰かと結婚する、ないし特別な関係になるのが一般的且つ有効です。子供が出来れば子供にも必要とされるので一石二鳥です、が、それは色々な面でコストが高く、様々な理由(モテない、等)で現実には選択肢として存在していない場合もあるため、もっとコストが低くて誰にでも実践可能な手法はないものか。というのを考えています。
一つには、昔からの知り合いとつるむ方法があり、昔からの知り合いは共有する資産が多いのでローコストな割りに相互にとって価値のある存在となりやすく有効。ジャージを着るなどして一体感を高める手法もアリ。また、趣味を同じくする多人数とつるむのも同様な理由で有効です。趣味を同じくするものの場合は、相互に価値がある存在となるのではなく、一方的に価値のある、尊敬される存在になることまで可能です。
が、これも地元を離れてしまい、特にこれといった趣味もない多くの上京者には実践不可能であり、ここに登場するのがインターネットです。インターネットで緩やかな関係を維持することによって見捨てられている感を減少させることが出来るのではないか、という、まぁ、この日記はそれを実践するための場であったわけですが、ここにそれを揺るがす大事実が判明したので、今この日記を書いていますが、その事実というのは「ネッ友はある程度親しくなると日記に対する反応を示さなくなる」です。
ネット上においては、「相手に関心を持っていることを明示する」のがほぼ唯一の友情表明手段であり、それはなぜかというとネット上では特定の誰かを手助けしたりするのが難しいからです。関心を示す、以外だと、ネット上で喧嘩しているときに応援コメントをする、くらいしか友情表明手段が存在しないため、もしも、ある程度親しくなると日記に対する反応を示さなくなるのだとしたら、これは構造的な欠陥であるといえます。常に反応を維持するためには回転を維持するしかなく、同じ状況の反復は徒労感を生むため、いずれはそれ自体に倦んでしまう……。これが個人サイト寿命説か!! なんだ、昔から判明してるんじゃん……。
mixiは友情感を強調するシステムがフル装備されているのでいいのだけど、それが逆に「明示的な交換や、順番にする互恵的行動」を強いられているという印象をもってしまう。コメントの交換、足跡の残しあい……。
ネッ友にたいする、順番ではない互恵的行動、明示的に一方的な提供とは何かというとブラウザからのアクセス、だと思いますが数字では満足できない、という人もいるのでそれでは駄目か。まぁでもはてなは楽しいので特に考える必要はなく、人それぞれみたいな話か……。いい加減な締めですいません。

追記

僕だって仕事をして生活しているのですから、仕事から必要とされている感を十分に得てもおかしくないはずです。人間誰でも交換可能である、というのは事実ですけど、そんな事をわざわざ言う必要はなく、そんなことを言うのは悪い行為ではないのか。人を不幸にするという意味で本当に悪い行動ですから、そんなことは止めて、これからは「世界に一つだけの花」を愛唱歌として生きていこうと思います。

追記2

WEBを情報入手のためのインターフェースではなく、対人関係の外殻としてとらえる上記のような態度こそ、サイボーグ消費者の名にふさわしいです。アメリカ人は薬物による自己改造で大きく先に行ってる(というイメージ)ですが、サイバネティックで負けるわけに行かないので、主張しておこうと思います。アバターなどといういかにもなものに頼らなくても自己は拡張できます。