について

しかし当時はまだ僕の周りにiPodを所有している人がそれほど多く居たわけでもなく、<iPod>の影を身近に感じる機会は少なかった。ネット上でiPodは常に"iPod"と表記されているのに何故僕は自分のiHPをそのまま"iHP"と書かないのだろうか、それはiPodには<iPod>が居るけどiHPには<iHP>が居ないか、居たとしてもやや控えめな性格をしているからではないだろうか、と思ったり、ポケットや鞄からiPodの上部が不自然に覗くのをみてポケットや鞄の中でiPodを必死に持ち上げる小さなの姿を何度か幻視したりした程度である。
暫くするとiPodは急速に普及し始め、単に巨大なシェアを誇る一電化製品に過ぎないようにも見えるところのものへと変化していった。それに比例して<iPod>はますます見え辛くなり、霞んでいった。ひょっとして<iPod>なんて無いんじゃないか、僕はHotWiredに接続されすぎたせいで(外国 == アメリカ) && (アメリカ == HotWired)的な世界を植え付けられ、HotWiredで頻繁に取り上げられる文化に対して無用な警戒を抱かされていたのではないだろうか。いくらなんでも街中でiPod使い同士が擦れ違うとお互いのiPodにイヤフォンを刺して曲を聞きあう、なんて習慣が実在する[]なんて信じられない。もしそれが本当なら確かに<iPod>は実在していて、彼/彼女はどうも少し腰が軽すぎる所があるように見受けられる、なんてことになるのだろうけど。
<iPod>はこのように一度「接続された男」的な解釈によって取り除かれたのだけれども日本国内で放送されたiPodのCM[]を見て僕はやはり<iPod>は実在するのではないかと考えるようになった。というよりiPodのCMによって<iPod>が再び要請された。
僕も最初はこのCMのおかしな点はHDDという稼動部分を含む比較的デリケートな部品を意味も無く振り回す点だと思っていたのだが、何回もビデオを見て真似したりするうちにもっと重要な事に気付いた。このCMは大変な嘘を含んでいるのである。iPodはイヤフォンを接続して音楽を楽しむ道具なのだから、本来踊り狂う彼/彼女を眺める私達には音楽は聞こえないはずなのだ。もしより誠実にこのCMを作り直すとしたらそれは静寂と奇異の視線に包まれながら踊り狂う外人達を描くか、もしくは揺れる視界、ノリのいい音楽、鏡の向うで踊り狂う自分、というような構図になるだろう。