「リベラリズムの存在証明」(ISBN:4314008482)稲葉振一郎

の第六章の感想文です。
P283

アナーキー・国家・ユートピア』でのノージックにとっては、社会の中の多様性は人格的個人の多様性から当然に含意されてくる事であり、そうした人格の尊厳が守られ、言祝がれるべきものである限りにおいて、社会の中のさまざまな組織、コミュニティー、価値観、思想の多様性もまた、当然に守られ、言祝がれるべきものである。

人格的個人の多様性、というのは経験の多様性から生まれるのだと思うので、コミューンを自ら選択できるようになる以前の経験、生れ落ちたコミューンによって人格の幅が決まる、ところに、ひどい不平等を感じるのですが、じゃあどうするのが理想か、と言われても特に無い、という感じです。
P232 本書とは『アナーキー・国家・ユートピア

これに対して本書でのノージックによれば、コミュニティの存続はその尊厳の条件と見なされていない。第一にそれは、始めから尊厳ある存在として承認され、かつ生存している個人の営為であるからこそ尊厳を有するのであり、その各個別のコミュニティの存続自体は要請されていない。

実は尊厳と言うのが何なのかよく分からないのですが、尊厳ある個人の営為なので、あくまで個人が個人に影響を与える、という事であり、組織が子供を洗脳する、的な事を勝手に心配しいる僕がおかしいのであり、本の話題と特に関係ない……。共同体主義からの批判? 教育については福祉と並んで教育システムが話題に出てきますがそれはコストの話なのであまり興味がありませんでした。
P227 頁は『アナーキー・国家・ユートピア

「枠は自由尊重主義的、レッセ・フェール的で有るが、その中の個々のコミュニティがそうである必然性はないし、あるいはその中でどのコミュニティもそうであることを選ばないかもしれない」(520頁)

らしいので、SF的に洗脳するとか、宗教を悪い例にばかり使って申し訳ないですけど、そういうなんか全然自由でなくても内部の人が自らそれを選択するんだったらそれは存続するし、望ましい事なのか。
要するにそのコミューンがどうなればユートピアであるのか、その時点で残ったコミューンの全てが、あるいは一つもユートピアでなかったとしても枠全体としてはユートピアなのか、とかが分からん……。組織が存続して無くてもいい、というのはどういう事か……。現状でも僕は気付いていないだけでコミューンを離脱する自由はあるのかもしれない、ので全体として選択可能なコミューンの集まりであるという事は出来るのか、とか。メタ・ユートピアと言うのは確かにメタではあるけどユートピアなのか。
238P

そして実存的ユートピア主義者とは、自らの固有の欲望、利益、理想の追求のみならず、世界の中に自分たち以外に多数の人間が存在し、それぞれが自らのそれとは異なる欲望、理想を持つことをそれ自体として悦ばしいことと感じ、さらに自らのそれの実現と同程度ではないにしても、他者がそれぞれの欲望、理想、利益を追求することをもまた望ましいと判断する立場である。

それぞれに完全に独立なコミューンがある、だけではこの立場は成り立たない? 歴史が存在するだけでもいいのなら、いつか実現する、のではないか。
ここまで違う文脈に出てくる文章を無理矢理繋げたりしていてまるっきりおかしい、ということも十分ありえる、というかあると思う、しかも本が話題にしているところと違うところばかりが気にかかっているような気もする。この本は3年位前に買ったものの難しくて挫折し、今回第六章だけ読んだ……。第六章は「最小国家論の可能性と限界」、という題であり大部分は最小国家についての話です。よく理解できなかった……。最小国家とコミューンが同じ物なのかどうかから分からん……。
P227 頁は『アナーキー・国家・ユートピア

「我々がこれまで述べてきたユートピアのための枠は、最小国家に等しい」(五三九頁)

P246

ただしそのためには、複数の国家の並存と個人の移住の自由が前提となっていなければならない。

国家が複数あり、その中にまたコミュニティが複数あるのだろうか……。
アナーキズム」はよく分かった、と思ったし安いので買ってよかったと思い、「ナショナリズム」も買いました。大量に紹介されてる本も面白そうなので読みたい、と思ったけど多分読みません。「リベラリズムの存在証明」はそのうち最後まで読めたら良いな、と言う感じです。
問い詰められたわけでもないのに言い訳ばかりしているのは何故か。僕はそういう抑圧的なものと闘っているのです。嘘です。
選択して労働していると言う意識が希薄すぎるので、合理的経済人、がもうよく分からない。
コミュニティがそもそもどういうものなのか。結婚が目標の人と、結婚しなくてもいいと思う人がいるとかそういう話ではないのか……。最初は地理的にも経済的にも切り離されて生活するものかと思っていたのだけど。
終わり。