id:treborさんにコメントを頂いたのですが、幾つかの疑問文が集合した形だったので、別々に引用させていただきそれに返事をする事にしたいと思います。

初めまして。

はじめまして!

「投票する」≒「民主党に投票する」というのは当たっているような気がします。しかし、投票率が低いと組織票を持つ勢力が有利になってしまい、そういう偏りは問題だと感じるので、できるだけいろんな考えを持つ人が自分の頭で考えて投票して欲しいと思うから「投票に行った方が良い」と発言するというのもおかしいことなのでしょうか。

おかしいかどうかは分かりませんが、僕は嫌です。「できるだけいろんな考えを持つ人が自分の頭で考えて投票して欲しいと思」って「投票に行った方が良い」と言っているのかどうかは僕には判断がつかないので、根拠があるのであれば、はっきり書いてくれた方がありがたいです。
それとは別に、実際に自分も投票を行う当事者が、「投票率が高い方が望ましい」、「いろいろな考えが反映された方が良い」ということ、を実際「何処に投票するか」よりも重要であるかのように扱っている(ように見える)ことがどうにもしっくり来ないのですが、上手く説明できず申し訳ありません。(つまり彼自身も投票する政党に期待するのではなく、投票率を上げる為に投票しているのか?自分の色々な考えはどうでも良いのか?と思う)
id:treborさんの例では、事実上は組織票が無い政党に票を投じてバランスを取ろうとする事を推奨しているようなので、それはわかります。

あと、投票所までの道のりを省けば5分もかからない投票行為がどうしてそんなに面倒だと感じるのでしょうか。

何ででしょうか……。何事に寄らず面倒くさがる性分なので困ります。僕は投票という行為そのものにはほとんど意味を感じないので、少しでも煩わしいと思えばそれだけで十分面倒な事だと感じるのだと思います。

それから、一票で当落は決まらなくても、当落を決めた票の中の一票にはなると思います。

それはその通りですが、行っても行かなくても結果が変わらないのなら、行かなくても同じではないのでしょうか。
大規模な(殊に選挙結果予測に関しては正確無比な)世論調査だと思って行く、つまり議席ではなく全体の票数に意味がある。政党に対する評価を示す事が出来る、(という意味では全ての票が(凄く小さい数字として)同じ価値でもあるし)、そういう意図で行く人が多いのかな、とは思います。が、それなら投票に行った、投票にいけ、では無く、日記にでも何でも関連する話題を書くなり話すなりすればより良いのではないか、とおもいます。

投票もしてない奴が愚痴を言うな」とは言いませんが、投票しない場合、現政権そのものや現政権が行ったこととその影響に対しての批判はしづらいような気もします。

現時点で、政権を非難している人がその非難への"誠意"を示す形で、対立した政党に票を投じる、という事はありそうですが、過去に自分が投票に行ったかどうかで批判し辛くなるというのはよく分からないです。
公約等の話なら自分が何処に投票したかとは全く関係が無く、単に守れたか、守れなかったかの話なので、自分の内部の話だと思うのですが。
過去に棄権をしたことで自分は現政権を許容したのであり、いわば共犯者なので批判し辛い、と感じるか。というと全く感じないのであり、それは僕と投票の関係の問題なので、僕は投票と、またその向うにある政治との距離を縮めるために投票に行くべきである、とも考えられる、かもしれないですが、特段政治との心理的距離を縮めたい、とも思わないので、どうしよう。僕の民度が低すぎるのが問題でしょうか。
つまり、投票したという行為が一種の誓いやなにかのように作用する、のでしょうか。投票は投票であってアンケートや雑談ではないので。実際、直接影響を及ぼせる数少ない機会ではあるのでそのような象徴的な意味合いを持たす事も出来る…、ような、気はしますが、僕は自分の内部においてもそのように重要なものだとは感じていない、ので行かないし、そのことで批判し辛くなったりもしないのだと思います。