mixiと私

中高一貫の男子校から大学に進学して一番物珍しく感じたのが同年代女性の行動全般で、特に知り合いに遭遇した際の歓喜表現のあからさまぶりに衝撃を受けた。一例をあげると、大教室中に知人を発見、右手を垂直に下げた状態から肘より先、前腕部のみを上方に曲げ、左右に軽く振りつつ小走りで知人に接近(左手には荷物を持っている)し、そのまま近隣に着席する、など。
当時僕は学生運動の残党が隠れ蓑にしているサークルに出入りしていた。最近話題の漫画、「げんしけん」に年齢不詳で酷く影の薄い部長、というキャラクターが登場するんだが、それにクリソツ、つまりそっくりの部長がいて、彼は確か六年だったのだけどどうも既に二度目の学部生らしく、歳は20代後半。彼と彼のサークルは別に今日の日記の本流にはそれ程関係ない。関係ないけどこのサークルについてもう少し説明しておく。そのサークルは地下のごちゃごちゃした一角にほとんど不法占拠のようにして十畳ほどのスペースを確保、サークル室として使用していた。これが学部の校舎と非常に接近していて便利だったので学生生活をエンジョイしているとは言い難いサークル員達が始終入り浸っていた。飯も当然ここで食うので昼飯時になると弁当を買出しに行く訳だが、誰が買いに行くかは先輩後輩の別無く公平にじゃんけんで決めていた。しかし、この公平は見せかけの公平であって、実際には新入生が負けた場合彼が単独で購入に向かうのに対し、先輩が負けた場合はじゃんけんに参加した全員で買いに行くのである。これはその先輩が窮極の寂シ我リヤだからである。
僕は新入生として弁当購入にパシらされる位は当然である、と思っていたのだが、この見せ掛けの公平が気に入らなかったので、わざと食事の時間をずらして独りで弁当を購入、摂取していた。しかしながら時間をずらして昼飯を食べるといっても限界があるわけで、2限と3限に講義がある場合はどうしたって皆と同じような時間に弁当を食わねばならない。何回目かのそういった機会に、「君はなぜそのような無駄(わざわざ独りで弁当を買いに行く事)をするのか?」と先輩に訊かれ、「じゃんけんに参加してもどうせ最終的にはかなり高い確率で自分も買出しに行く事になるから。しかも悪くすると一人で大量の弁当を」という意味の事を婉曲に表現した。すると何故か先輩が激昂、椅子を蹴るなどして暴れたため大変険悪な雰囲気になり、それ以来そのサークルには顔を出さなくなった。
そのようなサークルではあったんだけど、意外にも一人だけ長く居ついた女性新入生がいて、彼女は当然に相当変わった人物だった。その分僕としても付き合い易く、幾度か親しくお話しさせていただく機会があったので、一度あの歓喜表現についても尋ねてみたことがある。「僕は自ら行うのに、あのような行為を好みません。あれは無防備なものです。衆人環視の中で、当の対象のみならず、周囲の人間にまである特定の人物に対する好意、期待を露出する。僕はそういったサインを出す事自体を否定するものではありませんが、それにしたってあれは過剰なものであるし、そこに何らかの隙を発見されるやも知れません。少なくとも僕にはそれが見えます。ですから、無防備であり、一種の降伏に他ならないと言うんです」。応じて彼女は「好意を表明するのになんの世に憚ることがありますか? 大体それを私に訊くのはどういう意図をもって、また返答を期待しているのか?」と問い詰められたので、僕は「ごめんなさい……」と謝った。
しかし、勿論上辺だけの謝罪であり納得を意味してはいなかったので、その後も教室に知り合いが居ようが居まいが常に室中最右翼、最後列に座るなどの俺流を貫いた。すると不思議な事に全く友人が出来ず*1、結果、中国語の単位を幾つも落とし後々まで大変苦しめられた。今考えると彼女が言っていた事が正しいような気がするが、未だに実践出来ない。
この女性との一件を久しぶりに思い出して落ち込んだ気分になったのは、主にmixiの所為である。彼女をWEB上のサービスに例えるとmixiだな、と思った。というより、彼女の世界が。mixiはそういう印象。mixiこわい。これを読んでいる方にもmixiの恐ろしさが伝わると良いのですが。足跡の消し方がまだわかりません。でもそういうのが楽しいのもわからないわけではないというか、楽しそうだな、とは思います。楽しいです。

*1:多分これだけが原因ではないが…