津田
昨日の日記を検証してみます。まず一つには、私の日記中毒を否定する、日記中毒を無かった事にする、という目的がありました。つまり、オモシロ日記を書くために日記が、日記が、と言っていたのであって、実際にそんなに日記が大好きなわけではない、ということを主張したかった。勿論この主張は破綻しています。オモシロ日記を真剣に書こうとしている時点で、日記中毒を否定できないからです。その事は書いた時点で了解しています。ですから、これは全体として、明らかに筋の通らないことを真剣に主張するのが面白い、という私のオモシロ観の上に立ったオモシロ日記志向の産物です。その前段にあるお笑い番組に関する随想は実際に自分で考えた事で、嘘ではありません。まぁ、今更そんな事得意気に言われても、ってな内容ではありますけどね。
女性
はてな内に限ったって大変興味深いお笑い論が沢山存在しています。是非探して熟読しましょう。
津田
ですから、前段と後段の内容は私の中で発想された段階では何の関係もありません。無理矢理繋げれば繋げられそうな気がしたから繋いだというだけの事です。私は昨日の日記を書いた本人なので冷静に検証する事が出来ませんが、一応日本語を母語としている人間が書いた文章として許容されるレベルで二つの話題が接続されているでしょうか? 昨日に限った事ではないですが、自分の文章の繋がり、話の流れに自信が持てません。文章一つ一つの文法にはかなり自信があります。
津田
話がそれました。つまり、昨日の日記は部分部分では事実も含まれていますが、ほとんどが嘘だという事です。昨日の日記の内容から私自身に関して推測を行っても全て外れてしまうはずです。しかしながら、私に関してはっきりしている事は、昨日のような日記を好んで書きたがる人物である、ということです。
津田
私は日記を読む際にこのような視点を意識しています。何故この人は意味無く汚物に関する発言を繰り返すのだろう。映画の粗筋について書くんだろう。好きなタレントがテレビに出ていたことについて。嘘です。意識はしていません。そういう読み方もできるかな、と思いました。しかし、この遊びには決定的な弱点があります。そのように日記の裏を読むことでとても面白い事実を発見したとします。しかし、その喜びを日記に書いて皆と共有する事は出来ないのです。なぜならはてなダイアリーは大変な村社会で、常にreferによって監視されているからです。他人に言及したらば常に相手に知られると考えなければなりません。
津田
他人の言動の裏、密やかな願望を暴き立てるのは下品な行為です。そのような事をしたいのならば常に自分に対して行わざるをえません。ここで話題は冒頭にループします。つまり私はまさにそのような事をするために今日の日記の冒頭部分を書きました。
津田
残念な事に、この遊びを自分の日記に対して行っても大して面白くありません。自分に関する知識なら、日記に書いてある以上に沢山持っているからです。例えば、日記には書いた事がありませんが、私は普段人前ではほとんど喋らないどころか、まったく口をききません。それならどうやって人とコミュニケーションを行っているのか。あらかじめカセットレコーダーに声を吹き込んでおいて、適宜再生する事によって人と会話を行っています。
津田
上手く落ちがついたのでここで終わろうと思います。