「いじめ」のイメージ、スタンドアローンスクラムという語が広まらなかったことについて

先週の日曜日の日記にコメントいただいたので、インターネット上で集中的に批判されている状態を「いじめ」と呼ぶ、ことについて。

補足しますが、そもそもインターネット上で集中的に批判されている状態を「いじめ」と喩えること自体に疑問を感じます。いじめというのは、学校や会社など逃げがきかない環境において起こる出来事ですが、インターネットはそのような環境ではないです。個人情報を出しているものを「ネットリンチ」と呼ぶのはわかりますが、あくまで言論において行われている限り、「いじめ」に相当しないと考えています。なお、自分としては身体的特徴を言うのはNGだと思ってます。

インターネット上で集中的に批判されている状態を「いじめ」と呼ぶことには僕も若干の違和感がありますが、それは「いじめというのは、学校や会社など逃げがきかない環境において起こる出来事」だからではなく、僕がいじめに「いじめる側が単独ではなく、連帯していること」というイメージを持っているからです。
# ここは個々人で「いじめ」の概念が違うというだけの話で、たとえば文部科学省の定義ではまず、「子どもが一定の人間関係のある者から……」となっているらしく、インターネット上で集中的に批判されている人は大体の場合子どもではないし、批判している人との間には一定の人間関係も存在しないのだから、いじめにはあたらないです。Wikipediaの「いじめ」項によれば、いじめは職場にも存在するし、ネット上のユーザーによるネットいじめも存在する。

同日の日記にもらったeurekaさんのコメントも、僕が持っている「いじめ」のイメージに近いです。というか、僕がこれに影響された。

そしてその、ハックルさんに対する明確な加害の意図を持った人格攻撃が、それをブックマークコメント等で支持をしている、同じコンセンサスを共有した人達との、共犯関係的な集団心理の下で行われている(これは匿名ダイアリーにおいて、わざわざ顕名で自身の存在をアピールしている事からも伺えます)という、典型的な「いじめ」の類型の特徴を有している事から、このケースは充分「いじめ」に相当するケースだと、個人的には判断しています。その場合主犯は勿論raf00さんであり、共犯はその支持者達、という構図になります。また、その当事者達に加害者意識が希薄である、もしくは全くその自覚が伺えない、というのも、ある種の「いじめ」の特徴を顕著に示していると思います。

ただ、共犯関係的な集団心理の下で行われたかどうかは、僕には判断がつきません。
2009年初頭(三年近く前!!)の「タケルンバ卿グループディスカッション問題」に関連して提唱された、「スタンドアローンスクラム」という言葉があります。

ネット上において、コメント欄やトラックバック、ブックマークコメントなどによって、コメントの集中が可視化された結果、コメントや意見をしている側は個々の考えのもとに言及しているのに、被言及者側または外野からはそれら全員が徒党を組んでいるように見えてしまう現象。

逆に、被言及者や外野側の目に触れない限り、攻撃的な言及が集中する状況が起こったとしてもそれが意識されることはないため、上のような状況は発生しない。

「いじめ」に「共犯関係的な集団心理」が必要だとすると、「コメントや意見をしている側は個々の考えのもとに言及している」場合は、被言及者側または外野からは「いじめ」に見えるが、実際? には「いじめ」ではない、ことになる。
# ただ、外野から徒党を組んでいるように見えるのに、当の言及者が徒党を組んでいる意図がない、徒党を組んでいるように見えることを意識していない、というのは不自然だとは思いますが。被言及者側からは「いじめ」に見える可能性があったとしてもそれを考慮しない、というのは酷い話です。たとえ同じ主張しているのが他に一人もいなくても自分は自分の考えに基づいて同じように言及していた、言及によって被言及者に与える影響は考慮していない、と主張することはいつでも可能です。

以上が、「いじめ」についてです。

個人的には、「いじめ」という語が適切かどうかはあまり重要ではないかな、と思っています。というのは、いじめに必要な条件が、学校内・職場内で発生していることであれ、集団的なものであることであれ、その条件を欠いていても十分に批判し得るからです。肉体的な特徴をあげつらうのも、キチガイ呼ばわりするのも。

そこに加えて、徒党を組んでやっとそのようなこと、キチガイ呼ばわり、が出来たのだとしたらより情けない惨めな人たちだなぁ、ということでそう指摘するなり揶揄すればいいし、でもやはり「いじめ = 悪」という強いイメージは利用したい、ということであれば「いじめ」を使ってもいいし、でもそうすると「いじめ = 悪」のイメージを濫用している、と思われる可能性があるなら使わない方向でもいいし、そもそもなにも関係ないのだから黙っていてもいいかなと。