踊りや巨大なものや疾走や爆発をみたときのワクワク感について

昨日「Sucker Punch」という映画をみて、なぜある種の映画には必ずカーチェイス・シーンがあるのだろうか、に付いて考えました。「Sucker Punch」にはカーチェイスは出てきませんので、この日記は特にSucker Punchのネタバレを含んでいません。ちなみに、Sucker Punchはとても面白く、星で評価するならブルースターでした。
私は、カーチェイスには全くわくわくさせられない、なんか車が走ってんなーとしか思わないですが、格闘シーンは大好きで、凄くかっこいい格闘が見れる! となったら出来る限りその映画は見る。私にとっての格闘シーンと同じように、カーチェイスが大好きな人が世間には一定数いて、だからカーチェイスシーンが入ってる映画が存在するのだと思う。そのように、単純に人を惹きつける要素として、他にも、巨大な建造物、生物、多くの人間が一斉にうごくさま、派手な爆発、未来の景色、歌や踊りがある。
しかし、映画は大体の場合単に2時間続く映像ではないため、ラインにとって意味のあるようにそれぞれを組み込まなければならない。カーチェイスは追うものと追われるものがいれば成立するし、車で移動するのはとても普通のことなので、とても組み込みやすそうに思える。格闘も同じく。反対に、歌や踊りを意味のある形でストーリーに取り込むのは難しい。我々は気持ちが昂ったり、ピンチに陥ったとしても歌や踊りでそれを表現しないからです。私はいまGleeというドラマを見ています。Gleeでは毎回数曲、歌と踊りが披露されますが、それはGleeグリークラブ(踊りつき合唱部のようなもの)を舞台にしているからです。それでも、慣れないうちは、えっ、ここで歌いだすの!? と驚いてしまうかもしれない。戦争や、なにか凄いシーンを描く映画の場合、その凄さを納得の行く形で存在させるために大きな労力を割いているように見えることまであります。しかし、このような努力を制作側にさせるのは良くない、視聴者の怠慢と言えるのでは?
ミュージカル映画では人々が突然歌い踊り出すけれど、それはそういうものだと割りきってみれば非常に楽しいものです。というか、割りきって見る、必要などない。自然に演出として受け止めることが可能なのであって、ミュージカル映画は突然歌いだすけどなんなのあれ、とかいってるひとは、映画のBGMにも突っ込むべきです。つまり、画面の向こう側にはそんな環境音は存在しないのに、変な音を付け足しやがって! と。
私が!! 言いたいのは、到底合理的には見えないカーチェイスが受け入れられているように、大規模な戦闘や、未来的な超兵器、不思議な能力を持つミュータントなどが特に説明もなしに突然画面に登場したとして、苦もなく受け止められるようになるべき、だということです。人々は感情が高ぶれば歌や踊りで表現するし、職場でのちょっとした行き違いから都市ごと破壊してしまうようなアクションが起きても許容できるように。そうすれば爽快なシーンを楽しみつつ、平凡な日常をテーマにした映画、などが存在できるようになるはずで喜ばしい。