遠すぎる……

国が誰かに金を配分すること、についてどう感じるか? もしくは他人がなにか感じていることに対して私がどう解釈するか、という心の問題について述べたいと思います。つまり、国が子供のいる人に対してお金を渡す、とか、就職活動中の人に渡す、とか、そういう発表があった場合に、賛同している人や、反対している人の行動についてどう解釈するか、という話です。
まず極端なところから始めると、政策としての善し悪しについてコメントしているとみなせます。その人は国の将来あるべき姿を描けており、そのための政策を善し悪しする判断能力があり、そこに基づいてコメントしている、のかもしれない。真摯な態度なので素晴らしい。真逆には、対象となるから賛成、対象とならないので反対、というストレートな立場があり、わかりやすいので素晴らしい。僕が政策についてなにか言うとしたらこれしかありえんなぁ、と思います。子ども手当は僕に子どもがいないので反対、現在は求職中じゃないので求職者に対する手当は反対。でも流石にそれだけだとあんまりなので、自分がその立場になりうる場合は、確率と深刻さを加味して賛成。つまり将来子供を養うかもしれないし、無職になるかもしれないのである程度賛成。将来女性になることは基本的にありえないけど、そもそも女性として生まれてくるという事態は想像できる。でも、あまりにも強く、わかちがたく自分に結びいている属性については、そうでなくなる可能性を考慮することもできない。たとえば、僕はまったくギャンブルができない性格なんですが、たとえ性別が変わったり、何十年も早く生まれていたとしても、その部分は変わらないだろう、もしくは、そこが変わっていたらもう自分であるとは言えない、と感じていたら、ギャンブルで全財産を失い続ける人にお金を渡すのには反対、するかもしれない、と言うことはつまり、一見意味のない、怒りだったりの表明は、その人が自身をどのような存在だとみなしているか、つまり、自制心を失ってなにかにのめりこんだりしない人間であるとか、能力的な問題で通常できるとみなされるようなことができないだとか、そういうふうには、成り得ない人間だとみなしている、と言うことの誇示であるんだなー、それはみんなに言いたくなるよねー、とみなすことで平常心を保つというライフハックです。