反応フィルタリングについて

最近、はてなブックマークのホットエントリーを見るときに、先にコメントだけ見て興味なさそうだったら元のエントリを見ない、という習性が身についてしまい、よくないなー、と思ったがなぜよくないなーと思ったかを考えたい。別に良くなくないのではないか。
最初の最初から、僕と社会問題の間には直通のルートがなかった。たとえば、日本語滅亡の危機が社会問題としてあるとして、インターネットがないころは大体こういう感じだった。

日本語滅亡の危機 〜=> 新聞 --> 僕
日本語滅亡の危機 〜=> ( --> 書籍) ( --> 新聞) ( --> TV) ( --> 雑談) --> 僕

新聞がよく出てくるのは身近だったから、というだけで深い意味はないです。そもそも社会問題ってなに、新聞はどうやって社会問題を作ってるの、というところは今回特に興味を持ってないので、これくらいにしておいてやろう、ということで、インターネットがやってきてからはこうなった。

日本語滅亡の危機 〜=> 新聞社サイト --> ニュー即 --> 2chまとめサイト --> ホットエントリー --> 僕
日本語滅亡の危機 〜=> 書籍 --> ブログ --> ホットエントリー --> 僕
日本語滅亡の危機 〜=> 新聞社サイト --> はてなブックマークのお気に入り --> 僕
日本語滅亡の危機 〜=> 新聞社サイト等 --> 社会派ブロガー --> ホットエントリー --> 僕

新聞社サイトをRSSかなんかで購読してれば家に新聞取ってた頃と似た感じの情報の流れになるけど、そんな読み方はしていないので、そのころと比べると二つ違う点がある。まず一つに面を全部見て興味のあるものを読むのではなく、ホットエントリーに入るか、はてなブックマークのお気に入りにブックマークされているものしかそもそも見る可能性がない。そして目に入った時点で、まとめサイトなら2chでつけられたコメント、ホットエントリーならはてなブックマークでのコメントがほぼ同時に目に入る。
今回、特に気になったのは、まとめサイトでは記事の引用を先に読むが、はてなブックマークでは先にコメントを読むことです。コメントを先に読んで、そこに書かれた反応を見て、読むかどうか決める。怒りたい気分の時は怒りを呼ぶような記事を読み、えっ、そんなことがあったの、震えが止まらん……、とおもい、泣きたい気分の時は悲しい記事を読んで泣く……、という感じで社会問題を消費しておる。これは泣ける小説の話ではないので、どうなの、という気分になるのはそういうところです。つまり、社会問題を社会問題として消費するには、そもそも面としてスペースの大小でどんくらい問題なのかしめされているのが正しい、という感覚があってそれは正しくない気がする。社会問題は単独の問題ではなく、知りたいところだけ知っていてはダメ!! 絶対!! という気分があるけど、基本方針としては楽しいくなりたいときに楽しくなる社会問題について読む、という態度行きたい、と思っているけどなかなか難しい。どう思いますか。明日、というかあと何時間後から仕事があることの方が問題。