オタ芸について(7) / 類似する行為との比較(2) / 内向きな側面について(2)

高校卒業してから宮村優子別格推しをやめ鶴見済激単推しに推し変えしたのと同時に物心が付いたので、いまだに基本線、音楽については効用主義を奉っています。音楽における効用主義はこの曲格好いいでしょ? 上がるヤン、という所からスタートして、全然格好いいと思えない、むしろ許せないくらいかっこわるい、他人に聞いていることを絶対言いたくない、でも聞いてるとすごい楽しい、となるのが理想。理想ではない。格好いいと思えて人にそれを聞いていることを誇りつつ、聞いてると楽しい、という曲があればそれがベストだが、やむを得ずそうならなかった場合は聞いているときの楽しさを優先する、という立場です。むしろ、かっこわるいと思う音楽を効用のために聴くのが格好いい、みたいな。そこまで行くとそれはファッション効用主義です。
どこまででも無限に上昇しながら後退できるので深く考えないですが、全然好きな音楽ではなくても効用がすごい、ということは体験として実際ありえるし、あった。色々実験した結果、私はある程度テンポが速く、ドラムの音が沢山入っており、ぎゃぎゃぐわぁああ、的な音が色々な方向から聞こえる、という音楽なら大体好きであることがわかった。スネアの乱れ具合が良い、とか、バスドラがどうとかそういう細かいことは興味がない以前に全くわからないのでこれ以上丁寧に音楽の嗜好をお話しできないのが残念です。出来れば、ここに私の好きなオールタイムベスト10のレコードでもジャケ写付きで列挙したいところですが……。
しかしまぁ実際の所、その音が例えば過去に例が無く新しいから、とか、オリジナルであるから、という理由で好きであったとしてもその過去に例がない、とか、オリジナルであるという特徴から聞いているときの楽しみに繋がる、事は想像できるのでそれもすべて効用として回収できるのではないか、という気がしなくもないですが、効用という言葉は薬理みたいに私の意識と関係なくガツンとくるもの、というニュアンスを含むのであって、その伝で行くと過去の文脈を踏まえた上で出る楽しみなんかはプラシボ効果みたいなものだ、といえる(つまり、私が現代人の生活習慣に触れているが故に、現代人に有効な薬の恩恵を多大に受ける、という意味で薬理は現代であるということに縛られますが、プラシボ効果はもっと別なものであるということが言いたいのだが)。
このままだとオタ芸と全く関係なくなってしまうので無理矢理繋げますが、コンサート等の音楽イベントにおいて薬理みたいだなぁ、感じられる要素は音楽だけではないので、その辺りを表にして考えてみたい。非日常な音量で流される楽曲はそれだけで効用がある。その他に、人が沢山いて盛り上がっている感じには否応なく気分が浮つく。そしてもちろん目の前には憧れの推しメンが! 憧れのDJが! でも良いよ! 大体コンサートの素晴らしさはこの三要素によって生み出されると言える。表にするとこうだ。

音楽 群衆 憧れ
コンサート
× 音楽・薬理バンザイ、的なパーティ
× ない
× × 部屋でヘッドフォンして踊る
× トークショーなど
× × デモ行進
× × ストーカー
× × × 日常

大体の場合、○が多い方が楽しいがストーカーだけは許せん。それにその行為は犯罪を構成するので止めて下さい。