オタ芸について(6) / 類似する行為との比較(2) / 内向きな側面について(1)

僕は高校卒業まで名古屋にいたのですが、名古屋の高校にはクラスの友人を招いてカジュアルなホームパーティーを催す習慣がありませんでした。少なくとも僕は一度も招かれなかった。なので、高校卒業時点でも音楽を聴くときにどう体を動かすのか、についての蓄積は皆無でした。出来ればアメリカ西海岸に生まれなおしたい……。東海岸の方がホームパーティーは盛んでしょうか。良く知りませんが……。
音楽に合わせて体を動かすのは大変な恥ずかしさを伴う。しかし、特にライブ会場などにおいて体を全く動かさないのもストレスである。ライブ会場において求められているのは恥ずかしくないけど気持ちの良い動き方、だと思う。これさえ発見できれば、ライブ会場ではタイガー(腕組みをして直立不動、全く動かないという、「静」のオタ芸)でありながら、ライブレポでは会場の盛り上がりを体験的に記述するという状態から全てのオタを解放できるかも知れない。
体を動かすこと、の恥ずかしさ、はその動きを、他人の目を意識して選択した事から生じる(たとえ全く他人の目を意識していなくても、だ。「俺は人の目なんか意識していない、自室でハロプロの歌を聴くときも常にアゲアゲでオタ芸を打っている」という主張は受け入れられるだろうか?)。だから、恥ずかしさを減少させるには、他人の目を意識してその動きを選択したわけではない、ということがはっきりと示せればよい。たとえば、振りコピであるとか、手拍子であるとか。振りコピは自分の体を見せるための動きではない、それはアイドルとのシンクロを誇示するためのコピーであって、意識して演出されるダンスではないから、恥ずかしくない。手拍子は自然な習慣だから恥ずかしくない。
オタ芸はもう少し過激な恥ずかしさ減少作戦を行う。かっこよく見せるために体を動かしているわけではないと言うことを証明するために、思い切り気持ち悪く動いてみせる。これは多少歪んだ発想かも知れないが、たとえば、服装に気を遣っていないことを示すためにシンボルとなるようなものを着用(バンダナなど)したり、髪の毛を自分で適当に切っていると公言したり(僕だ)するのを思い浮かべてみれば納得できるのではないか、と思う。つまり、オタ芸は一見自分でするには恥ずかしい行為かも知れないが、実際はそうではない、ということです。僕はララポートでロマンスは打つことはできるが、出来るだけかっこよく見えるように踊れ、と命令されたら服従より死を選ぶと思う。
ストレートに俺格好いいぜ、と思えない人がある程度自分で動きを選択して動かなければならないような状態、になったときの体の動かし方、には興味がある。つまり、他にもそういう状況というのは存在しているのだが、そこでは気持ちよさのために体を動かしている(事を装う)、という選択肢の方が有力である気がするのだが、そういう選択はハロプロの現場においてはあまりされていないように見える。基本的には足を動かせ事も出来ない、という環境のせいかもしれないけど、これは興味深い。というか、あまり興味はないけど他に書くことがないので次はそれを書きます。どうぞお楽しみに!