昨日の日記を読んでも自分が何を言いたいのかさっぱりわからない(勿論、僕はわかるが、書いてあることからだけではわからないような気がする(しかしそれは読んでいる人(が居たとして)を甘く見すぎているからかも知れませんが)のでまとめると、音楽祭はあまりに色々な要素を差し引いても成り立ってしまうので、何がどう重要なのかを考えようという日記です。(どうせ最後まで行かないので出したい結論を先に書いておくと、生演奏であるとか、本人がいるとか、大音量が素晴らしい、であるとかは無くても音楽祭は成り立つ。である以上、それらは絶対必要な要素でなく、人が沢山居ることが重要だ、ということが言いたい。これは昨日も書いた。以下は蛇足です)
最高の体験としてある音楽祭から、絶対に音楽祭といえないもの(自室、一人で別に好きでない音楽をいやいや聴く)の間に"ライヴ"と"クラ、ブー"と"アイドルのコンサート"(以下コンサート)がある*1。音楽祭における主役は"気の良い仲間"であり、その他の要素はそれを引きたてたり、"気のよさ"や"仲間"感を湧き出させるための小道具に過ぎないということを証明したい。そのためには、最高の体験から気の良い仲間を取り除くだけで音楽祭の素晴らしさが完全に消え失せてしまうことと、逆に最低限の環境と気の良い仲間さえいればそこそこ最高の音楽祭が成立することを示せばよいわけだ。
まず、本当に最高の音楽祭から考える。手近な所から、僕自身について述べると、まずあらゆる不快から逃れた状態で軽く酩酊している。適度な緊張感が残る程度に親しい友人数人とその場に来ている。こいつらは何事にもピースな愛のバイブスをもって接するけど、いきなりマンションから飛び降りたりはしないという常識派です。周りには知らない人も沢山居るけど、どいつもこいつもベリ工が大好きないい奴ばかり。屋外、もう真夜中で動かずにいると肌寒いくらいの気温で、周りは緑で囲まれている。まぁ緑はあってもなくてもいい。川があると楽しいし気持ちいいので川はある方がよい。音はとにかく大きくて速い。170くらい。ブースにDJがいるのかステージでライヴが行われているかは悩みどころです。僕はあまり楽器の演奏を直接目にするということに魅力を感じない、何故ならベースとギターの区別もつかないから、のですが、歌に関しては生で聞いたということに一定の感銘を受ける、のでステージでは熊井さんが歌い踊っていることにする。これは楽しい。ふらふらしながらステージで歌い踊る熊井さんを見て陽気に騒ぎたいです。コール&レスポンスもします。少し疲れたら川に足を浸して気の良い仲間と熊井さんの背丈の変化について語り合う。いいなぁ。ところが、ここで周りの気の良い仲間達がいちどきに消えてしまったらどうなるか。相変わらず積み上げられたラインアレイのスピーカーからはかっこいい音楽が流れていて、ステージでは熊井さんが歌い踊っているというのにちっとも楽しくありません。ダイヴするとそのまま地面に落ちてしまうし、オイオイ言おうにも誰も返してくれません。実際こんな状態になったら、なにかを楽しむというような気分にはなれないことを先日の握手会で思い知りました。予想外の順序で握手会が進行したために、席に戻ると全く心の準備が出来ないまま係員に誘導されて握手が行われるステージへ。ステージ上で握手が行われる合計十秒ほどの時間はこの一週間で最も執拗に色々な人によって語られた十秒間だと思うので僕が今更付け加えることもないのでしょうが書いておきます。実際は十秒もなかったのかも知れません。メンバーが八人で、一人一人に一秒もかかっていないからです。僕は声をかけるどころか目を上げることさえ殆ど出来なかったので、実際に握手をしたのが本当にメンバーさんがただったのかどうかも確信を持っては言えません。僕がその間俯いて考えていたのは、これはベルトコンベヤーだ、ということで、つまり握手は机の向こうにいるメンバーさん達とします。僕らは机に沿って歩いていくわけですが、机の反対側には青いジャンパーを着た係員が並んでいます。机と係員に挟まれて出来る限りの高速で握手をし移動をしても係員が容赦なく僕の肩と腰を押して前へ前へと進めようとするのです。それが嫌だということではなく、その係員の手がなかったら一人一人に何か声をかけようとして口ごもり、なにも思いつかずくずおれる人が続出してちっとも前へ進めないでしょうから、良かったと思います。ベルトは動けない人のためにあるんだなぁと思って、顔を上げたあたりに菅谷さんがいたので菅谷さんは結構覚えている。あと、最初の嗣永さんもまだ顔を上げていたので覚えていますが、それ以外の方は全く思い出せません。握手会が終わったあとのあからさまに魂を抜かれた友人を見ているので自分の体験を殊更特別なことのようには言えませんが、握手会には行って良かったと思います。

*1:もちろん、コンサートを音楽祭でなく、商業的な邂逅の場として捉えるならそこで一番重要なのはアイドルの存在だから、周りで気の良い仲間が猟奇的なやり方でつぎつぎに殺されたとしてさえ、それには何の意味も感慨も無く、メッセージボードをあげたら複雑な意味をもつ手の振り方で応答してもらえた、等の、手旗信号めいた秘密通信に没頭するのが当然です。同様のことは、ある種のリズムやメロディーに神秘的な価値を見いだす人にも言えますし、それは大変素晴らしいことだと思います。ですから、この日記には(僕が自分の考えを整理して行動を把握するという以上の)どんな意味も無いですが、だからといってコメントを拒否しているわけではありませんので、よろしくお願いします!