好きなことについて書くのは楽しいですが、ちょっと疲れてきたので息抜きに自民新憲法小委が憲法の前文に「愛国心」だか「国を愛する心」だかの表現を入れようとしていることについて思うことを書きます。
これは僕と憲法前文の問題なので、他の人が愛国という言葉にどういう印象を持っているか、日本国憲法がどういった経緯で今の形になったかについては特に考慮しません(勝手に考慮してしまうレベルでしか考慮しません)。自分以外の人間が憲法前文と愛国についてどう考えているかまとめるのは、憲法前文についてどうにかしようという方向性を示したい人が自分の言葉に説得力を持たせるためにする事であって、僕がしたいのはそういったことではないのでしません(知らないし)。
愛国は良いことだと思います。たとえば、「日本が嫌いで、ジャマイカは好き」という人と、「日本は好きだけど、ジャマイカは嫌い(陽気そうだから)」という人が居たら、おそらくその人は日本に住んでいたり日本国籍をもっていたりする限りにおいては日本好きである場合の方が愛を抱いて幸せに過ごせるはずで、幸せなのは良いことなのでつまり愛国は善いことです(勿論一番善いのは全ての国や人を大好きであることですけどね!)。
また、他人がより幸せであるように行動したいと思っているのなら、自分が愛国心を持っていなくても、他人が愛国心を持つような方向に努力するのは特に矛盾していないし、ありだと思います。でもそれはあくまでさりげなくすべき事であって、文章に書くようなことではないです。愛はそういう形で芽生えたり育んだりする物ではなく、そんな風に口に出してしまうと逆に冷めてしまうのではないか? と思います。
以上です。