ネッ友について考える(1)

はじめに

アルファギークの一変種たるアルファブロガーに先導され、殿軍を務めるオメガブロガーにまで連なるウェ…ブログ界の末席を汚す者として、参考にしたサイトはきちんと明示しておかねばならないと思いますので、今回ネッ友について考えるきっかけとなったURLを列挙しておきます。どれもとても興味深く参考になります。

余話

ギリシャ文字ブロガーの中ではラムダブロガーかディガンマブロガーあたりが強そうで格好いいと思います。

大筋

インターネットで日記を書く際は主に二つの方向性があり、それは「ネッ友」とのコミュニケーションを図るmixi的日記と、「沈黙のオーディエンス」との対峙を引き受けながらアクセス数の高みを目指すリードミー的読み物日記です。
mixi的日記におけるネッ友は相互に興味を抱くことによって成立する互恵的関係であり、ネッ友があなたにとって重要であり心落ち着く存在であるのは、主にネッ友があなたに関心を持っているからで、逆もそうです。残念なことに、一方的に興味関心を持っている状態は友人とは認めらません。それでも知りたいという欲求を抑えきれない場合、リアルワールドでは逮捕されてしまいます。ネット上では単にウォッチャーであったり読者と呼ばれる存在になります。
mixi的日記がネッ友関係の構築と維持において果たす役割は二つあります。一つには広大なインターネット世界から興味関心のフックとなりそうな話題のカテゴリをネッ友予備軍に提示すること。ネッ友化の契機になるような話題や出来事を引き起こすための装置としての機能です。もう一つは友情感を維持するための継続して存在する「場」としての機能です。クラスメートや同僚と違い共有する環境がないネッ友には、その代わりに共通して閲覧するサイトが必要であり、その代表が各々の日記です。「ネッ友」の範疇を超え「リア友」となってしまった友人の存在が日記更新の動機にならないのは、各々の日記以外にも共有する情報が増えすぎてしまい、相対的に日記の価値が低下するからです。
リードミー的読み物日記では、関心をもっているのは読者側のみです。ネッ友との交流を求めるmixi的日記においては相互の関心を明示することが必要不可欠であるので、そのために文中リンク、TB、コメントの書き込みが活発に行われますが、読み物日記には関心を持っていることを明示する必要がない(しても見返りとなる関心が帰ってこない)ので、結果として「沈黙のオーディエンス」となります。アクセス数の多いサイトでもコメントやトラックバックが多いサイトは、「一つ一つのコメントには反応しないが、まとめて応答となるようなエントリを書いている」「自分たちの代弁者として発言してくれている感じがする」「直接の繋がりはないけど同じコミュニティに属している感じがするので、コミュニティへの一体感の表明としてコメントを書いてしまいがち」等のテクニックが利用されています。

「ネッ友」の勧めに関して思うこと

リードミー的読み物日記を書いている人に対して、「「ネッ友」を作れ」、というのは「反応が欲しければ自分も関心の対価(としてのコメント書き等)を支払え」というアドバイスになるかと思います。そもそもリードミー的読み物日記を書いている人は関心を示すことなしに関心を得ること、注目されることに目標を置いていると思われる、(なぜならそれは通常のコミュニケーションと違ってより多くの技能と労力が必要な難しい事だから)のだから、ちょっと違うのではないか、と思います。
「アイツ、いつも一人でいるけどうちらの学年じゃいつもアイツの話題で持ちきりだよ!」という状態を目指している(もしくはそうなっているんだけどそのことが実感できない)人に、友達が多いと楽しいよ、というアドバイスをしても無意味ではないか。
(しかし、「皆が俺の噂話をしてくれないから死ぬ」、と言っている人に対して「友達でも作ってごらんよ、楽しいよ」というアドバイスは有り得る、のでそういう意味かも知れない)

mixiについて

mixiが凄いと思う点についてのメモ。

  • mixiはそれ自体が共有されている「場」的雰囲気がある
  • あのカスタマイズ性皆無、極端に平板なインターフェースはディスプレイの向こうには一人の人間が居るだけだ(居るんだぜ)というmixi当局の主張
  • やれることが限られすぎで最低限しかやってなくても不全感がない
  • 匿名の参加者や、あの大手サイトの中の人がネッ友(マイミク)として把握可能な一つの人格に!(mixi人格統一説)
  • ネット上での複数の活動を行う人間が把握可能な一人格に統合!(mixi人格統一説2)
  • マイミク(ネッ友)は双方向であることが原則なので、サイト主←読者、という一方通行な関係は存在できない(関心のエスクロー取引)
  • トラックバックスパムや足跡スパムがたった一行の余分な情報という以上の異常な憎悪で糾弾されるのは、それが誰かから自分に向かってきたはずの関心を装った詐欺だから
  • はてなはまんなかへん