昼休み日記

「私・今・そして神 開闢の哲学」(ISBN:4061497456)を会社で昼休み、寝る前に少しずつ読んでいるのですが、タイトルがあれなので、スピリチュアルな人だと誤解されないか心配です。まぁそれは決して誤解じゃないですけど。講談社現代新書の新しい表紙もなにか不思議なパワーを象徴していそうなデザインです。P129。

逆に考える事もできる。貴花田はほとんど変化せずに貴乃花を襲名したが、同じものが名前を変えたと考えなくてもいい。襲名した時点で、貴乃花と言う(先代と)同じ実体が別の素材によって満たされたと考えてもいいからだ。そう考えて、貴花田貴乃花を貫いて同一のものなどない(あっても同じ身体における新陳代謝程度にマイナーだ)と言い張る事もできるだろう。
襲名と共になぜか根本的な人格変化が起こって、貴花田性は消えて貴乃花性がそなわるのだとしたら、この主張にはがぜん説得力が出てくる。そのとき、それでも物的(素材的)な連続性のほうが本質的だと言い張るとしたら、それはライプニッツ的現実性への固執とちょっとにてくるように見える。
でも、ほんとうはちっとも似てないのだ。(以下略)

確かに、貴乃花さんは一時期とてつもない人格変化を起こしていた、のが興味深いです。あれは失われた貴花田性に対する周囲の反応と、新しく備わった貴乃花性の間に生じたズレが原因だったのかもしれません。兄の若乃花さんにも、タッチフットでレギュラーを目指していたけどそれを目前にして事故にあってしまい夢を果たせなかった小学生の霊が乗り移っていました(ように見えました)。