(承前)

漫才と言うのはさしあたって二つの役割を分担する人によって演じられる、と認識されている、のであり、その役割とはぼけと突込みです。僕は昨日引用した文章をとても面白い、と思ったのですが、それはあの文章をぼけとして読み、かつ心の中で様々な突込みを入れながら、読んだのです。ぼけがただそこに言葉として存在するだけならば、それはありきたりの木材に過ぎず、そこに関わる突込みは人としては仏師であり、また言葉/動作としては彼が握るノミでもあると思います。木を掘って形作るのではなく、木の中に像が埋まっているのを掘り出すのです。ひとまず自分自身どこが面白いと思ったのかを詳細に確認することで木地工程にしたいと思います。引用は昨日と同じ部分です。

捕手は他界に住まう人だ。ベースボールにあっての他界とは、もちろんファウル・ラインの外側を意味している。そこに落下したボールがゲームを中断させるしかない外部である。

僕は蓮實さんの文章をこの本ではじめてちゃんと読んだのであり、更に言うと、批評と呼ばれる類の文章をほとんど読んだ経験がない*1のですが、この部分、最冒頭、の強引さには度肝を抜かれました。ファウル・ラインの外側に飛んだボールは依然ゲームと強いつながりを持っていて、捕手の大きな役割の一つは後方への飛球を落下する前にキャッチする事なのです。これは捕手のみの仕事ではなく、一塁手三塁手、両翼手においても同様です。少なくとも、落下したボールがゲームを中断させるしか無い外部、というだけの場所ではありません。タッチアップだってあります。そこを、勿論、と言い切るのが面白いと思いました。

あらゆるプレーヤーの中で、キャッチャーだけが直角に交叉する二本のファウル・ラインの外側に守備位置を持つ。彼は、だから、二重の外部に住まっているのだ。そのことに意識的でない選手にキャッチャーはつとまらない。

一塁線をx軸、三塁線y軸とみなし、第一象限を内野とすると、第二象限である三塁側ファールゾーンとその延長、第四象限である一塁側ファールゾーンとその延長が、一重(多重でない)の外部であり、第一象限と原点(ホームベース)を挟んで対称の位置にある第三象限は二重の外部である、という事なのでしょうか? つまり、一塁線、三塁線、をあわせて二度乗り越えているので。しかし、一塁線、三塁線はホームベースまでにしか引かれていない線分なのであって、無限に延長される直線ではないので、外部にまで仮想の境界線を適用してそこを二重の外部とみなす事に意味があるのか、というのは疑問です。ルール上も区別が無いようですし。この部分はよく意味がわかりませんでした。意味がわからない所が面白いです。

阪神いらいの若菜は、内部への未練を断ち切れずにひたすら捕手を失格しつづけている

これは非常に複雑な面白さを含んだ文言だと思うので細かく考えたいです。この文言の持つ面白さは僕にとっては三つに分けられるようです。一つにはその内容の唐突さ、もう一つには失格と言う語の用法、最後に、その裏から感じられるある存在の姿、です。
まず一つ目、ここまで少し観念的に過ぎる文章が続いたと思ったらいきなり人名が出現し、しかもすぐ牙をむいて失格である事を宣言します。この唐突な話題の縮小が気持ち良いです。対象が若菜であるのも面白いと思います。
が、具体的にはどう悪いのか良くわからない、"捕手として失格しつづけている"?
失格、という語は主に二つの用いられ方があるように思います。資格を失う、という動作を表す用法と、適任でない、という状態を表す用法です。前者は「〜〜大会で失格した」、のような使い方、後者は「教師失格である」とか「教育者としては失格だ」のような使い方です。この場合、若菜はなにかの審査や、競技で資格を失ったわけではないので、より一般的な言い方をするならば、「若菜は捕手として失格である」という凡庸な表現になるかと思います。そういう意味で、僕はこの文章は間違った語の用い方をしている、と判断していました。これが二つ目の面白ポイントです。
が、この文章の面白さをじっくり考えている内に、どうもそれははやまった考えである事に気付きました。
やはり、失格しつづけている、と書かれている以上、若菜は毎試合毎試合捕手として失格しているのです。毎試合失格しているのにもかかわらず、それでも若菜が捕手として出場しつづけるのは何故か。失格だと判断しているのは監督でもコーチでも、或はマスコミでもありません*2。このセンテンスを読んで僕が今笑うのは、失格しつづける若菜の姿を通して浮かび上がる、失格を宣言しつづける野球の神とでも呼ばれるべき存在(あるいは蓮實さん)故、です。
追記:うぅ。若菜は阪神から移籍したあと一塁を守ったりしたみたいなので、単に一塁に行ったり捕手に戻ったりしていた事を失格し続けている、と表現しただけのようです。僕が面白いと思ったところは全て単に僕の教養の無さによるものです……。すいませんでした……。

*1:この本のタイトルは、スポーツ批評宣言、なので批評ではなく宣言なのかもしれませんが

*2:森田まさのり先生のRookiesでも若菜が捕手として描かれている事から、森田先生も若菜を捕手として失格だとは思っていないようです