新潮の「文学の"永遠"」は、保坂さんのと町田さん*1のが面白かった(私はこういう感じの作品が好きですよ、の意)です。新潮はいつも買っているわけではなく、というか初めて買ったのであり、なぜ購入したかというと一般に知っていて当然? であると思われる人の書いたものを一文字も読んだ事が無いのは恥ずかしい、短編、掌編でも一度読んだ事があれば多少のイメージをもてるのではないか、と思ったから。100周年記念号はその点でとてもコストパフォーマンスが高いと思います。着実に劣等感を取り除いて生きやすく生きようという前向きな姿勢ではなく、恐らく読んでも好きになることは無いだろう、と思いながらそれを確認するために読む、のような後ろ向きの姿勢です。私は今まで、個人的な体験を除いて、作品として一番面白い、楽しかった、のは、とある演劇でして、それは私の唯一の観劇経験です。つまり、私はその演劇をとても面白い、特に、頭のおかしい人の役の人の演じている役がとても面白い、と思ったのですが、演劇情報を調べたりチケットを取ったり劇場に行くために部屋を出るのが面倒くさい、という理由でそれ以来一度も演劇を見に行っていません。こうした事実一つ一つの積み重ねが自己認識を形成するので、私は今からでも演劇を見るようにした方が良いかもしれません。とても楽しいと思ったのにそれをしない、というのは根本的に良くない(幸せに繋がらない、の意)性向だと思います。
町田さんはもとから好きなんであれですけど、保坂さんのが自己言及ありありで楽しい。

その人といっても私といっても同じことで、

で始まるんですよ。つまり、その人==私、なんですが、「その人」で貫く日記も良いのではないか、と思いました。まぁでもあんまり変え過ぎるのも良くないので変えませんけど。しかし、三人称日記の致命的な弱点としては、あまり考えてる事を書くのに向いてないので実際に起こった出来事を書くことになり、そうすると毎日同じ事、起きた、会社に行った、を書かねばならない、という所なのでなんとか抜け道を探したいです。
保坂さんのには、407円の買物をする時に1002円出してしまい、しみったれだと思われそうだ、という記述があるんですが、私は588円の会計に1143円だす、同じ硬貨が財布の中に5枚、或は2枚以上あるのが耐えられない、という性格です。これは癖なので、財布の中の硬貨と金額を見ると自動的にどれを出せばいいのかわかります。予想外のおつりになる事もありますが常に正確です。

*1:下の名前を略して書いているのは文脈から誰の事なのか明確であるのと、キーワードに引っかかってしまうのが嫌だから、であって、通ぶっている、とか親しみの表れ、ではないです