津田
記名して日記を書くというだけの試みだったはずなのに、いつのまにか日常とは無関係な日記を書かなければならない、日記の書かれた時期を利用してはいけない、という縛りまで加わっていて驚きました。この縛りはほんときついです。
津田
日常から着想を得て良いならば無限に日記が書けそうな気がします。例えばの話。今日はとてもいい陽気だったので、近所の河原まで散歩しました。お気に入りの木陰が若い夫婦とその第一子によって占領されています。僕はいつもその木陰を利用しているので占有権を主張しようかと思いましたが、頭がおかしいと思われるのでやめました。密かにその木陰に忠誠を捧げているので他の木陰に浮気するわけには行きません。仕方なく奇麗に刈り込まれた芝生に腰をおろして本を読み出します。今読んでいる本はコニー・ウィリスの「犬は勘定に入れません / あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎」(ISBN:4152085533)です。とても日差しが強いので頁に直接日光を当てて読むわけには行かず、逆に日が当たらないようにすると他の目に入る光景とのコントラストが強すぎてどちらにしても眼に悪そうです。僕は読書を諦めて空を眺める事にしました。空はとても青く気持ち良いので僕は「鳥になりたい…」と思います。しかし鳥にはなれないのでそのまま空を眺めているといつのまにか日記について考えています。
津田
そうだなぁ、今日はこの河原の話を日記の枕にしよう。空が奇麗だから空の写メを撮ってそれも掲載しよう。それからこの青さに刺激されて思い出した「青」についての思い出を書こう。今日は青、明日はビリジアンについての思い出を書き写メを撮る。24日経つとそこには24色クレヨンセットのように素敵でカラフルな日記が出来上がるに違いない。
津田
今日は朝から梅雨入りしてしまったようなじめじめした嫌な雨が降っていて、僕はまだ一歩も部屋から出ていません。ですけれども、もし晴れていたら上のような素敵な日記が書けたと思います。
津田
しかし、それも日常と繋がった普通の日記を書いていた頃の話です。今の僕はそのようなことを出来る立場にないので、発想の幅は狭まりいつもいつも同じ調子で同じ内容の日記を書きつづけなければなりません。
津田
僕だってなんの計画も立てずにこのような日記を始めたわけではありません。大まかな筋は考えていたんです。最初にまず僕にとっての外の世界の象徴である女性と、僕自身が登場する日記を書きました。次に僕から男性性を取り除き、彼に猛夫という名前を与えました。ここから先はまだ書いていませんが、各種の余分な感情、本質ではないと思われる部分を擬人化しては取り除いていきます。「津田」==僕、を純粋な本当の自分に近付けるためです。日常を捨て、感情は平板になり、あらゆる情動と無縁になりながらも次々にその身を刻み自己探求を続ける僕は遂に言葉まで失ってしまいます。ここからが腕の見せ所で、言葉を失ってしまっているのに日記を書くことなどできるだろうか? という難問がありますが、そこは力技でなんとかします。そうして本当に自分の意志を決定している箇所にまでたどり着こうとするのですが、結局そんなものは無いので僕はどんどん小さくなる一方で遂にはマッチ箱に入る位の大きさになってしまいます。ここで最後に箱に残った僕を構成するものはなんなのか、というのはまだ考えてないですけど、一応生物ではあるし、ホメオタシス、恒常性とかで良いでしょうか。ホメオパシーではないです。この辺になるともう本当の自分などない事に薄々気付き始めているのでかなり暗い日記になっており自殺予告をたびたび繰り返して、はてなダイアリーのスタッフに叱られたり、2chでヲチされたりします。そしていよいよ最後に残った恒常性が取り除かれ、本当に箱の中には何もなくなってしまった。いえ、そうではありませんでした。箱の中にはなにかきらりと輝くものが残っているではありませんか。不思議に思った僕がそれを手に取ります。最後に箱に残っていたそれは純粋な日記への想い、希望、とでも呼ぶしか無いものでした。
津田
こうして日記は終わりますが、割と人気だったので一冊の本として出版される事になり、書店のニューサイエンス棚に平積みされます。
津田
という辺りまで計画していましたが、残念な事にこれを日記にするほどの筆力がなかったので断念しました。何年か後に再挑戦したいです。