日記

試験の帰りに渋谷に寄ったら女子高生が自衛隊派遣の反対署名を集めていて、おお、偉いなあ。と思ったけど、信号が変わりそうだったので無視して走って行くと、同じように隣を走っていた人が信号を渡りきった所でいきなり手足を激しくバタバタしだして春だからかな?と思っていたら財布が臀部ポケットから飛び出し、それを拾った女性に話し掛ける、というナンパだった。その手があったか……。
父親がフランスの外人部隊に所属していたんだけど輪切りになって宅配便で送られてくる等の残虐な殺され方をしてしまい、一時期グレていたけど今は立派に更生して派遣反対、とか、たまたま街で拾った劣化ウラン弾をアクセサリーとして身に付けていたら被爆してしまったので派遣反対、の女子高生、だと、確かにそうだな、頑張れ、と思うけれども、恐らく日本には個人的な体験から戦争超許せないと思っている女子高生はそれほど居ないので、つまり、イラク情勢には詳しくない、僕と良い勝負、の女子高生が何故か街角に立って署名を集めようとしている、のであって、その違いは一体何処からくるのか、というのが疑問です。
おまえに女子高生の気持ちが分かるのか!?と言われると確かに何も分からないので、じゃあ、同年代の男性でもいいですけど、その中でも政治的に、とか、思想的に色々立場を意識してとっている人も居るんだな、と言う事に最近イラク日記を読んで気付いたわけです。僕は無気力、無感動、無関心をモットーとする三無主義者なので、大半の同年代男性も同じかと思っていたのですがそうではなかった! 結婚観が違うのはそれぞれの個人的な体験もあるので差異が生じて当然かと思いますが、戦争や自衛隊に関しての体験はそれほど違わないのではないか。体験の違いから来る差異ならば、最初は理解できないけど、体験を心情を交えて説明したらお互いに理解が深まった、と言う事があるでしょうが、最初からインプットが同じなのにどこかの内面の違いが拡大されて意見の相違になった、と言う場合に議論とか説得とかが通用するとしたらどういう具合にそれは相手に変化を起こしているのか、起こそうとしているのか、がよくわからんという話です。年が離れてるとか、性別が違う、もしくは俺はジャングリストだけどあいつはパンクスだから、のような違いがあればそこでやっぱり、育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ(SMAPブームです)、諦念に至る、のですが、なまじ同じインターネットジャンキーなのになんでそんな違いが…と思うわけです。共感の度合いとか、そういう、なんかパラメータ的なものが拡大されるのでしょうか。
しかし、この視点はちゃんと実際の問題を見ておらず、架空の意見を並置して外から眺めて言っているだけであり、真摯に?ちゃんと考えて喋らなかったらおまえを殺す、のような脅迫を全知の人にされた場合にどう答えるかというと、やはりなんでしょうか、最初からどちらかに向う気分が有り、それを補強する説はどんな問題でも割と簡単に見つかるのでそう言っているだけではないか、それでもちゃんと根拠がある人とない人が居るように見えるのは、この根拠だったら使っても許せる、の敷居が高かったり低かったりするのではないか、高い人は割と意見が一貫しているように見える、ということですけど、と思いましたが、それ以外に何かあるのか、というとよくわからん、それが当たり前とか、全然そうじゃないのかもしれないとか、そういう問題では無いとかいうことかもしれません。
しかし、やはり空気はあるのであって、しかも空気は非常に強く、喋らないと空気にもなれないので、なんか喋るのは大事ではないか、と思いましたが、皆が喋るのは大事だけど、僕一人にとってのリスクリターンで言うとあんまり…と言うような感じです。
僕は人の好き嫌いだけははっきりしているので、好きな人の意見が良い感じに思え、嫌いな人が良いといっている物は良く見えても嫌いになるタイプです。