小学生の頃の日記の思い出

僕が小学校を卒業した頃にはまだまだ世界に一つだけの花思想が徹底されていなかったので、卒業文集に「なんでもランキング」という、クラスメートにあからさまな順位付けをするコーナーが存在していました。僕は「面白い人ランキング」で三位だったのが凄く嬉しかったのを覚えていますが、もし「日記の嫌いな人ランキング」があったら多分一位でした。それくらい日記が嫌いだったにもかかわらず、担任の方針で週に一度は日記を書いてきて給食の時間にクラスの前で朗読せねばならなかったのです。そして、自分の発表する日に日記を書いてこなかった者は、その後一週間日記を書きつづけなければいけない。勿論、罰則の一週間にまた日記を忘れればその分だけ期間は延長されます。消費者金融で自己破産してしまった人なら想像出来ると思いますが、これはそれよりもっと悪質です。僕は夏休みを迎えるより先に、卒業まで毎日日記を発表しつづける事が確定しました。
一度堕ちたら後は速い。どうせ日記を書かなくてもこれ以上の罰則はありえないので、僕は全く日記を書かなくなりました。しかし、担任は僕の見つけたシステムの穴を早速塞ぎにかかり、日記を忘れた者は刑期の延長と共に、日記を忘れた事をみんなに謝罪する、というシステムを考案しました。なにも悪い事をしてないのに(してるけど…)謝罪するなんて我慢ならない、僕はその後、毎日同じ内容の二行日記を書きつづける、読めないような字で日記を書く、書いてないけどその場で考えて喋る、給食の時間に居ない振りをする等の抵抗を続けました。しかし、どの手段も担任の手によって封じられ、僕は最終的に自分以外の他人の日記をまとめて隠す事により、自分が日記を忘れた事がわからないようにする、という荒業まで使いました。しかし、これはちょっとした騒ぎになったので身の危険を感じ、二回くらいしか実行しませんでした。
今にして思うと、別に日記を書くのが特別嫌なわけではなく、とにかく字が下手で字を書くのが嫌い、ノートもほとんど取れないくらいだったので、日記を書かなかったのですが、これの所為でもとから担任と上手くいっていなかったのが、余計悪くなってしまいました。5、6年が同じ担任だったのですが、5年になった瞬間に僕は嫌われていたのです。これには原因があり、その何年か前にうちの姉に関して学校と母親の間に何か揉め事があったらしく、当時の姉の担任は担任をもてなくなり、音楽の教師になっていました。なので、本当は担任よりも音楽教師の方が恐ろしかったですが、僕はこの頃人生中最も悪と混沌に近付き、トンガっていた時期だったので、頑張りました。とにかくそんなので、ほんと日記は嫌だった。それが十数年を経て今はこんなに日記好きなので、時の流れは恐ろしいなぁ、という話でした。