wa-sugoi

遂にガチャフォースオフが開催されそうな雲行きです。

僕はもう絶対行きたい、可能な距離ならテレビを背負ってでも行きたい…。でも経験上オフに出たりメッセの登録人数が増えれば増えるほどサイトを全部消してハンドルも変えてしまおう、いやっていうかネットを止めてもっとリアルライフで頑張ろう、という衝動も強さを増してくる。今思い出してみたけど大体一年半周期で波が来ていると思う。今年の後半が危ない。だからもしオフに行くとしても本名で参加したい。パソコンを持っていないので2chは携帯で見ています、と言い張ることにする。「名無しさん」は何時みても居ますね!!って言ったりとか。OFF板って三つに分かれたんですね…。
ラジオで伊集院光さんがガチャについて話していた、というのを見かけたので久しぶりに伊集院さんのラジオを聞いてみたらガチャフォースじゃなくて、ガチャロク?とかって別のゲームだった。騙された。僕は生まれて始めて参加したオフ会が伊集院光私設HPのオフ会だ。'98年の、多分夏だ。冬かもしれない。あまり印象に残らない季節だった。僕はそこのチャットにはまっていた。最初は確か本当にパソコンを持っていなくて、あと家には電話線も無かったので、学校からアクセスしていた。川本真琴伊集院光のサイトばかり見ていた。高校の頃、家の屋上にこっそりワイヤーアンテナを設置したくらいラジオが大好きだったので、東京に来てからもラジオはよく聞いていた。まだ実家には結構な数の120分テープが残っていると思う。中身は主にアニラジだ。しかし大学に入ったのとほぼ時を同じくして、みやむーのAV騒動が勃発したのでアニラジからは離れてしまった。「直球で行こう!」の公開録音を見たいがために、あまり興味の無い学部まで受験したのにもかかわらず、だ。
オフ会はTBSの傍で行われた。参加者は最年少で高校生、上は良く覚えていないが、当時も年齢なんて聞いていないから覚えていないんだろう。たしか、全部で八人くらいで、全員男だった。僕は最初チャットを学校からしか見てなかった関係で、実はあまりよく面子の事を分かっていなかった。高校生だけはICQ仲間だったから内心かなり頼りにしていたんだが、彼は遅刻してきた上に、挨拶したあとは一言も喋らなくなってしまった。それでも皆は本当に伊集院さんの事が大好きな一心で集まった気の良い男達だったから、すぐに打ち解けてまるで竹馬で一緒に遊んだ友達みたいに打ち解けて色々な事を話し合った。主にラジオとゲームの事について話し合った。
今はどうだか知らないが、その頃は伊集院さんのラジオでハガキ投稿が採用されると、おしりコインというものが送られてきた。驚いた事に僕以外全員がおしりコイン所有者だった。つまり、皆一度はハガキを採用されていた。僕も何回かハガキを送った事があったけど一度も採用されなかったので、これは非常に口惜しかった。また、何人かはおしりコインを持っているとか言うレベルではなく、名前を聞いただけでネタハガキの作風が頭に思い浮かぶくらいの有名ハガキ職人でもあった。そして僕はハガキの面白さと、実際会った時の面白さには特に目立った関係が見られないという事に気付いた。これをはてなに当てはめると、どういう事になるだろうか、という事を今考えたが、書けるような感じの想像ではなかったのでここには書かない。一周年だからどこか僕の知らないところでそういった会合が行われているのではないかと想像している。
昔話が多くなってきたので僕はもうすぐ死ぬと思う。でも日記は好きな事を書いて良い場所であるはずだ…。