鬱と骨折

友人と待ち合わせをしていて、友人が酷く遅刻して長い時間待ちぼうけを食らわされたとします。友人の言い訳。

  • 1) 向かい風が強かった
  • 2) 突然鬱状態に陥り家を出られなかった
  • 3) 出掛けに玄関で足を骨折したので遅れた

これらのどれなら許せるか、または言い訳として成立しているか、ということについて考えました。この友人は普段から鬱気味で、かつ、骨疎鬆症の気があっていつ骨が折れてもおかしくない状態だと仮定します。1)は文句なしに仕方ない。自然現象に無茶な抵抗をすると大変な目にあうことは毎夏の水難や冬山での遭難を見れば明らかです。是非家でじっとしていて欲しい。
問題は2)と3)で、僕は3)は許せますが、2)は許せません。骨折と鬱の間にはなんらかの差があって、その結果僕は3)は許せるのに2)は許せないわけなんですが、その差は何なのかと。骨折と鬱はどちらも自分ではその発生を制御できませんし、その状態になってしまえば僕との待ち合わせに間に合う事は非常に困難になりますから、条件としては同じように思えます。
他人が約束を守れなかった場合に心情として許せるかどうかってのは、主に「自分が相手の立場だったとして」その約束を遂行出来たかどうか、に左右されるんじゃないかと思います*1。僕は向かい風が異常に強かったら家から出ませんから、1)は許せるわけです。同様に家から出るときに骨折したらもちろん待ち合わせ場所になんか行きません。しかし、2)は違うんですよ。僕は突然鬱状態になって家から出たくなくなるなんてことはありませんから、友人が時間通りに待ち合わせ場所に来れないとむかつくわけです。
つまり、僕は「相手の立場になって考えた」時に、「いつ骨折してもおかしくない」という条件は受け入れているのに、「時々激しい鬱状態になって家から出られなくなる」という条件は勝手に省いているわけです。体が強いとか弱いってのは「立場」のほうに含まれているけれど、精神状態が安定してる、してないってのは「自分」の属性であるように思ってるからですな。
超頭が良くてすっげーモテモテで大金持ちの若者だけど常に沈みがちな人と、頭悪くて超駄目だけど常にエンドルフィン全開で幸せそうな人だったら何故か前者の方が羨ましいのが不思議。謎。生まれ変わるなら後者の方がいいかも。

*1:他人に厳しく自分に甘かったり、自分ではなく"普通の人"が基準だったりするかもしれませんけど